朝、カーテンをあけた瞬間に世界が白い朝というのは、毎年経験しているはずではあるが、何十回経験しても未だにハッとする新鮮さがある。
外界が白く、すべてのものがシンとして、誰もかれも家にこもり、世界は私のものである。
寒い日に外を歩くと実感するのが、人って所詮は空気やら栄養やら、外から何か取り込んで自分の細胞で一巡させ、また外に出してるだけの単純な機構ということだ。
白い雪の匂いの空気の中を歩くと、自分の体が白い雪の匂いになっていうのがよくわかる。
レタスやらじゃがいもやらと同じように、人間の細胞も寒いところにおいておくほうが、きっと長持ちするんだろう。
歩くうちに、なんとなく寒冷地ハイになっていく感じがする。
近所の池は、うっすらと表面が凍り、いつもいる鴨は一羽もみかけない。
代わりに、本来はこんなところにいないはずの真っ白なサギが、かろうじて凍っていない一隅にしんみりと立ちつくしている。
こんなところに一羽きりで居ても、食べ物もないだろうに。
心配になって足をとめて見つめれば、鴨ほどは人馴れしていない白い鳥は翼を広げて飛び逃げる。
くいっくいっと不自然なほど曲がった首のS字のカーブが、空を飛ぶにもとりわけ寒そうだ。
迷子のしらさぎを、私が追い出してしまったのであればずいぶん申し訳ないことをした。
食べ物があるなら、ゆっくりしていけばいい。
これからの季節、池のあたりは通る人も少なくて、世界は内向的な人たちの遊び場だから。
人間の細胞はレタスのような感じだと想像する。
冷たい空気にさらすと、とりわけしゃきっとする。
今年も、きっと悪くない師走がはじまる。