冬には冬の悩みがある。
猫がいつまでも炬燵から出てこないので、下のラグが掃除できないのだ。
言葉にすればつまらぬ悩みのように響くが、まあ聞いてほしい。
この季節の炬燵は、猫が日がな一日居るところであり、人間が食事をするところでもある。
要するに、どう考えても家中でもっとも汚れやすい場所のひとつなのだ。
獣と人類の共存空間について真剣に考えている私が、いかに毎朝室内の掃除機かけに勤しもうと、炬燵の下の毛ぼこりをなんとかしない限りは、その努力にはほとんど意味がない。
それなら、掃除機をかける間だけ猫に立ち退きの協力を願えばいいじゃないかと、人は言うかもしれない。
しかし、私はこう見えて猫好き人間なのである。
寒い冬の朝に炬燵の中でかわいく丸まってる猫の機嫌を損ねてまで、暴力的な掃除機の轟音を聞かせるくらいなら「今日はまあ、いいか」とついなってしまう。
そうして「まあいいか」は一週間続き、二週間続く。
このルーティンで春まで続きかねないとなってくると、それはもう猫と人の健康にも直結しかねない事態に進展してしまう。
私は悩んでいた。
ところが、この点について近頃素晴らしい天啓を得たのだ。
部屋の掃除が終わるまで、炬燵のスイッチを入れなければ良かったのである。
暖かくない炬燵に、猫は入らない。
「起きたらすぐに炬燵をつけろ」
と即時苦情がくるかと思ったが、猫は冬の低い日差しのおかげでこの時期の朝方は案外部屋のあちこちでひなたぼっこが可能であることを発見した。
炬燵があるからつい入っているが、晴れの日の朝なら、なくても結構楽しく暮らせる。
そういう知見を、うちの猫は手に入れた。
日差しのある日は、日向ぼっこしてる猫を横目に見ながら、まず掃除機掛け、先代猫の祭壇の花の世話をして、お香をつけて、終わったら炬燵にスイッチを入れる。
風景が寒々してると気分も寒くて、ついこもりがちなのは猫も人も同じである。
冬にこもれる場所があるというのが「おうち」の素晴らしさだから満喫すべきとは思うが、重い腰を上げて柔らかい日差しを満喫するのも、また冬の良さ。
よしよし、今年の炬燵は掃除機後のスイッチオンであるぞ。
私は宣言し、猫は受諾する。
手早く掃除を終わらせる動機としても役立つ。