パソコンでメールを読んでいたらいきなり傍らに置いてあるアレクサが起動して青くピカピカ光り出した。
呼んでもいないのにいきなり反応されると、正直けっこう怖い。
すわAI暴走か、と光るアレクサを見つめていたら、ひとつ心当たり。
たった今、いまいち意思疎通がうまく取れていないメールの返信に頭を抱えて、どうやらため息交じりの独り言を言ったのだ。
「あれってさあ……」
「あれってさあ」と「アレクサ」は、相当違う。
音の違いもさることながら、なんていうか、トーンとか、雰囲気とか。
聞き間違えるか、そんなところで。
うちでは飼っている黒猫のことを普通は「まーちゃん、まーちゃん」と愛称で呼ぶ。
姿は見えないがどこかでガサゴソ音だけ聞こえてくるとき、傍若無人ないたずら娘を放置しておくのは不安なので
「まーちゃん、何やってるの?」
と声をかけると、にゃーん、とか言いながらちゃんと走ってくるのだ。
遠くにいて、何かに夢中になっていても、構ってもらえそうな機会は逃さず馳せ参じてくる(可愛い)。
しかしそんな尻の軽い娘でも私がパソコンに向かってやっかないメールを読みながら
「まー、ちゃんとやらないとなあ」
などと独り言を言ったからと言って誤解して走ってくるようなことは絶対にない。
「まーちゃん」という音そのものよりも、トーンとか、雰囲気とか、そういうものを聞きとるのである。
最近私の中で「シンギュラリティ」という言葉をちょっと口に出したいブームが来ている。
ビカビカと光線を発するでかい怪獣の名前みたいでかっこいいうえに、言葉の意味もちょっと怪獣っぽい。技術的特異点。
発音しにくくはあるが、口に出すとちょっと気持ちがいい。
「シンギュラリティがやってきて人類がAIに仕事を奪われる未来は近いのではないか」
私ごときが口に出す機会はまずない例文だ。
あのやたら賢そうな顔した歴史学者ハラリ氏も、シンギュラリティ革命で人類が「多くの無用者階級」と少数の「ホモデウス」に分かれるという話をしていたし、
シンギュラリティはとにかく「やってくる」という文脈で目にすることの方が圧倒的に多い。
一方で「シンギュラリティなんて来ない、絶対来ない」と最初からずーっと言ってるのが超面白かった本もある。
AIって要は電子計算機なんだから数学で表現可能なことしかできない。
数学ってものにそもそもの限界があるだろ、という、実際AIロボットを作っている技術者の話は身も蓋もないほど超シンプルでおもしろい。
しかし、シンギュラリティはこなくても、計算機で代替不可能な能力を人類が担っていかないとどっちみちAIに仕事は奪われる、という未来像はシンギュラリティ派とそんなに変わらないといえば変わらない。
そういえばAIロボット技術者ながらバリバリのシンギュラリティ派のマッドサイエンティスト石黒教授は最近どうしているだろうか、と調べていたら
「アンドロイドは進化するが、犬猫は動物のままなので、近い将来アンドロイドの方がペットより強い法的権利を有するようになるであろう」
なんていう、相変わらずSFからそのまま出てきたみたいな面白い話をしていた。
「おまえ、どう思うね?」
膝の上で眠る猫の額を撫でながら見入るんである。