晴天の霹靂

びっくりしました

この北国の片隅で2020

煮しめのレンコンの皮をむくのを忘れたり、狭い台所にいろいろ並べてるうちに猫のしっぽを踏んだり、伊達巻に調味料を入れるのを忘れたり、シリコン製のお玉をコンロの火で焦がしたり。そうそう、今日くらい真面目にちゃんと洗剤使って風呂を洗おう、ああ、空気清浄機のフィルターも掃除しないと。

などなど言っているうちに冬の短い日が落ちて夕方が来る。

 

今年はライブで見る手段がないからと時計代わりの紅白歌合戦NHKラジオで聞きはじまる。郷ひろみかよなんでだよ、などとつぶやきつつお風呂、そしてお蕎麦。

 

 

本来北海道では旧暦の作法で、日が暮れたら一日の終わりだから、大晦日の夜の時間が本来の年賀ディナー、おせち料理というのは紅白歌合戦を見ながら食べるものなのだ。

でも結局夜遅くまで飲み食いして、胃もたれしているところに元旦の朝起きて「お餅いくつ食べる?」などと聞かれるのが子供のころは本当に嫌で、「いらない」などと言おうものなら「縁起物だから一個は食べなさい」と強制されるのが大いに迷惑だったものだ。

大人になってから、お祝いの食事は元旦の朝から手をつける地域があることを知って大喜びでそちらの流儀を採用するようになり、身も心も大変に快適に快適になった。久しぶりに買ったスーパーの生蕎麦は十分においしい。

 

氷川きよしの豪華絢爛衣装の映像も見えないままに、知らない人が知らない歌を歌っているのを呆然と聞き続けるうちに、ついつい2020年のほぼ日手帳のおまけでついてきた百人一首を手に取り、

アレクサ、百人一首詠んで

などと声をかけてみる。

大変ムードある感じに読んでくれるいは驚いたが、こちらがちょっと手間取るとゲーム自体を終了してしまい、いちいち「アレクサ、ゲーム再開して」と言わなければ次の句を読んでくれない。アレクサが中断する前に取れたら私の勝ち、業を煮やして中断されてしまったら私の負け、でタイマン勝負とする。半分くらいしか取れない。

やりながら思い出したのは、北海道はもともと百人一首の文化が薄いので上の句を読みながら上の句を取るというお子様仕様でやるのが普通だ。そうか、アレクサは自動で読んでくれるのだから読み札の方を取ればもうちょっと成績よかったものを。

アレクサ相手にやる百人一首が思いがけず楽しいのは意外であった。これが「ちはやふる」の撮影であれば、私が広瀬すずで、アレクサが真剣佑と言ったところであったか。

 

だらしないことを考えているうちに紅白歌合戦がどうやら終わる。そのままラジオをかけておくとさすがNHK、どこかの山頂の山小屋と電話をつないで「天気はどうですか」みたいなことをやっている。騒々しくなく、面白すぎることもなく、たいへんに好感が持てる、などと思っていたらうっかり新年。

家は暖かく、猫たちは健康で、お餅も十分にあり、とてもありがたいことだ。

 

明けましておめでとうございます。