現代人として”しがらみ”と聞けばほとんどの場合、思い浮かぶのは
「分かってんのよ。理屈ではそうだってわかってんだけど、言うほど簡単には行かないのよ。しがらみとか色々あって」
というやつではないだろうか。だいたい愚痴の文脈しか浮かばない例のあれだ。
漢字で”柵”と書くことさえも知らなかったが、なるほど”しがらみ”と書いて変換キーを押せば、たしかに一発で変換される。文字通り、川の流れをせき止めて岸を守るために、作る柵のことを指すのだそうだ。
都市生活を送る我々には川や紅葉が視覚に与える印象より人間関係の悩みの方がはるかに身近だが、この歌が流行ったころは、人々は「しがらみ」と聞けば、川面いっぱいの紅葉が思い浮かんだのかもしれない。
「しがらみ」と聞いて私が思い起こす風景は、小さな町役場の駐輪所だ。
その時私は部屋ももたずに自転車で長い旅をしていて、ある日冷たい雨にあったのだ。濡れながら走っても泊まる場所がなかなか見つけられないまま、夜はどんどん暗くなり、やっと見つけたささやかな屋根が夜の役場の駐輪場だった。
屋根の下にテントを張って身体を休めても、持ち物はみなうっすらと湿っていて寒い。このまま雨の匂いのする寝袋にくるまって震えながら眠るしかないのだと情けない思いで道の方を見れば、自分以外の人は雨の中をどこかを目指して足早に歩いていく。
「ああそうか、みんなは目指す場所があって、そこには乾いたタオルがあるんだ」と、そのとき天啓のように思ったのだ。
あっち側のみんなはちゃんとしがらみをやっていく優しさがあるから、雨の日は乾いたタオルのある場所に帰れるのだ。私はしがらみをやり通す気力がないから、雨の夜に乾いた場所がない、と思ったらぽろぽろ泣けてきた。
実際のところは、寒くて疲れすぎたせいで泣いていただけで、この話と「しがらみ」はほとんど何の関係もない。
さらには、10代後半から20代にかけては多くの人にとって、ひとつの「しがらみ」から別の「しがらみ」に移っていく過渡期で、人生でもっともしがらみの薄い時代を過ごすものであり、そのこととパーソナリティもあまり関係ない。
そうだとしても、やっぱり、あの雨の夜の駐輪場のしんみりした孤独のイメージは忘れがたいものである。まだ世の中にはSNSがなく、雨の夜や暗闇の中には深い孤独の気配があった。
あんなに頑張って川を流れゆく一枚の葉になったとばかり思っていたものが、なんのことはない流れ流れていけば相応のしがらみはかかっているものだ。
いつの間にか「ちょっと昔の話でも聞かせてよ」と言って毎月一人暮らしの老父のもとに通っては、これまで全く知らなかった古い話を書き留めたりなどしはじめている。別にいつ誰がこうなると決めたものでもないのにこうとしかなりようがない点においては、まさに風がかけたもののようでもある。
してみると、毎月聞いているあの昔話こそ「流れもあへぬ紅葉」の正体ということか。