晴天の霹靂

びっくりしました

『ヤジと民主主義 劇場拡大版』 ~2019年にもこの国はまったくどうかしていた 

 

年末からずっと見たかった『ヤジと民主主義』、やっと観に行けました。

年をまたいだにも関わらず相変わらずの、ほぼ満席。


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このドキュメンタリーはギャラクシー賞を撮った撮ったときにTV版では観ていたにもかかわらず、劇場で改めて観るとまたなんとも胃が痛くて、持っていたコーヒーが全然飲めない緊張感でした。

映像を観ると、警察が国家を根拠にする暴力組織であって、実力行使するのに法的根拠とか別にいらないと考えているなら丸腰の市民の身体生命なんて即座にどうにでもできるんだなってのがビンビン伝わってきて、なんとなればバイオレンスアクション映画よりだいぶ怖い。

「うわー、胃が痛い痛い」

と思いながら必死にマイボトル握りしめていたら、後半裁判で闘いはじめた市民二人と、それを支える人たちが結構明るくて楽しそうで案外な希望が見えてくるのです。

考えてみれば我が身を危険にさらしてまでわざわざ街宣カーに向かってヤジを飛ばしに行くというのは一縷の希望をもたんとする人の行為です。これが逆にカメラが追っているのが警察側組織で、可能な限りの無表情を保ちつつ「上からの指示で」とか「迷惑なので」とかしか言わない制服の人たちを撮り続けたのだったらだいぶ暗い映画になったのではありましょう。

 

このヤジ排除事件から5年近くが過ぎて改めて2019年の映像を観ると、選挙の雰囲気自体があまりにも異様だったことが目につきます。

自民党党首が選挙演説に来てる場所に、日の丸の旗を持った人がずらっと並んで聞いているのです。

「特定政党の党首に向かって国旗を振る理由ってなんだ?」

ってのはどう考えても理由がわからないんです。自民党の党旗かなんかだったら、まあわからなくもないんですが、えっ、何、自民党って国体だったの?

たぶん街頭で振っていた人は、配っていたからあまり深く考えず受け取って振ったのでしょうし、2019年時点ではそれをあまりおかしいと思わないような雰囲気が国全体にあったのかもしれません。

今あらためて観るまであの風景の異様さに気づかなかずにきたのも、思えば怖い。

 

ローカルテレビ局で作った小さなドキュメンタリー作品なので、出てくる人々がみんな等身大にしょぼい暮らしをしています。洗濯物をいっぱい吊るした狭い部屋に住み、よれよれの服を来て、とっさのことが起こったら戦うよりは恐れて沈黙してしまうような、私の知っている街角を普通に歩く普通の人達の日常です。

だけど倫理観とか共感というものは、こういう映えない暮らしを黙々とやっていく日々の中から生まれていくのだな、と感じさせられる映像でもあります。

大勢の警官に取り囲まれ強制的に排除されていく当時大学生だった女性のそばに、ただぽつんと立って見ていた年配の女性の姿がカメラに映っています。後に参考人として裁判にも出たというその人は、多勢に無勢で力の行使をされている彼女のことが心配でそばに立って見守っていたのだと言います。

「心配だから見ていただけ。自分も声をあげられなかったことを反省している」とその人はいいますが、たぶんそれはその人の精一杯の良心であり、イデオロギーやら政治運動やらとは関係なく、その人の普段の生活が育てた勇気と共感のあり方だと思うと非常に感動的に見えました。