『カムイのうた』を観てきましたよ。
ご当地映画としてはほとんど驚異的なことだと思いますが、市内2箇所のシネコンに掛かっており、多いほうでは一日4回上映されています。
街を歩いていてもアイヌ語を耳にしたりアイヌ文様を見かけたりする機会がずいぶん増えたので、ある種のブームになっていることは感じていたのだけど、それにしても予想外の出来事でした。
予告を見る限りにおいては「映画として面白いかっていうと厳しいんじゃないかなあ」という予断のもとで行ったんですが、思ってたよりだいぶ引き込まれる作品でした。
知里幸恵の非常に優れた文章と、北海道の自然と、再現されたユカラが圧倒的なオリジナリティを持っており、見惚れるところが多くあります。
そのぶん、ロケができなかったのであろう東京のシーンでは急に止め絵になったりして、その苦肉の策にはちょっと笑ってしまうものの、お金を使うところと使わないところ割り切り具合は「英断っ!」と思ったものです。
登場人物が急に時代の制限を超えて現代人の価値観でものを言い出したりするタイプのストーリーが私は苦手で、この作品もまさにそう感じるところは多々あったのだけど、観ている最中はそれらを相殺するくらいの「映画館の音響でユカラを聞けるとはっ!」という喜びがありました。欲を言えばもうちょっとたくさん聞きたかった。
あるいは、せめてエンドロールはアイヌをエスニックアイディンティティとする人によるユカラが入った方が自然だったように思います。映画が終わった途端、それまでの文脈を断ち切るように突如和人のリズムで和人の歌詞の音楽が流れ出すと、「これは滅びた民族のお話でした」というようなニュアンスに見えてしまうのは、やはり気になります。
劇中では学者らによって常習的にアイヌの墓が暴かれ骨が持ち去られ、やめるよう訴えても大学にも警察にも取り上げられない様子が大きな筋のひとつとして描かれており、非常に身につまされて見ました。
自分が通った大学にもそのように集められた大量の遺骨が、個人の識別もできない状態で保管されていたことを、私は国立博物館ウポポイに慰霊施設ができた時にニュースとして初めて知ったのです。もはや返還もできなくなってしまった遺骨を慰霊施設に移したものの、かつて行った盗掘については謝罪していないというのが、卒業後私が出身校にたいして最も深く失望した、今も続いている問題です。
知里幸恵たちが命を削って残した口承文学は、読み物として文字で読んでもなかなかピンとこなかったものですが、近年はいろんな人の努力でちゃんと音として聞けるように再現されています。美しいアニメーションのついたこのシリーズが私は非常に好きで、ぼーっと聞いてるとたいへんに楽しい。