晴天の霹靂

びっくりしました

編んでは解くマフラーと『最後の誘惑』

今年になって初めてyou tubeで会得したブリオッシュ編みという方法でマフラーを編んでみる。もっふもふの編地が気持ち良い一方、編んでも編んでも全然進まない不思議な手法でもある。

はじめての編み方ということで出来上がりのボリューム感もよくわからず、これじゃあ大きすぎるかな、いや、もう少し存在感あってもいいかな、などとちょっと進めては解き、ちょっと進めては解き。進捗は遅いが、去年寒さに負けて急ごしらえで編んだマフラーが、今年はちょっと好奇心のゆとりを持って別の形に再構築されていくのは面白い。

 

マーティン・スコセッシの『最後の誘惑』を見る。

十字架にかかったキリストが「あーあ、こんなことなら普通に幸せとか願っておけばよかったなあ」とぼんやり思っていたら、なんだかわからないけど突如それが実現、結婚して子供に恵まれ、平和で凡庸な老後を迎える。

トントン拍子に何十年を過ごし、調子良く天寿を全うすべく死の床で「まあまあの人生だった」とか言い出だそうとしたところに弟子のハーヴェイ・カイテルがやって来て「こっちは苦労してんのになんであんた平和に死のうとしてんだ」などといつもの感じでキレ散らかしたので、「やばい、こんなことしてる場合じゃなかった!」と思ったところで、ハッと十字架の上で我にかえる話だ。

 

なかなか興味深いことだ。結局人はどれかひとつの道しか選べなくて、選んだ先のどこかでは選ばなかった方の道のことを思ってクヨクヨする。だからと言って選び直してもみても結果にあんまり差はないし、だいたいの人にとっては、たぶん最初に選んだやつで正解なんだと思う以外にできることはあんまりない。誰だって第1希望の人生なんか生きていいないというのは、結構いい話じゃないか。

 

他人の人生として鑑賞すると岡目八目でそういうことがよくわかるから、映画ってありがたいシステムだよな。

などと思いながら2時間43分で振り出しに戻るキリストに付き合ったところで、解いたり編んだり解いたり編んだりしているマフラーも、やっと10センチくらい進む。

猫は何時間でも大人しく膝の上で寝ており、今年は少なくても首周りの暖かい冬が迎えられる予定である。編み上がりの直前に、怒り狂ったハーヴェイ・カイテルなんかが入って来ませんように。