晴天の霹靂

びっくりしました

去年の夢の続きを編む

夏の間はほとんど手を触れずにきた毛糸と針を、なんとなくいつの間にやらまた手にする気温になっている。

去年寒さに急き立てられてとりあえず用をなすように仕上げたものの、正直あんまり見た目も機能性もよろしくなかったストールなんかを、解いて編みなおす。

本当は解いてすらおらず、去年のストールを傍らに置いて、端っこを切ってそこから伸ばした糸を、せっせと編んでいるのだ。

一年間絡まり合って面として暮らしていた糸は、すでにしっかりラーメン状に縮れており、扱いやすくはないし編み上がりも新品ほどきれいではないのだけど、それにしても去年の制作物が端からちょっとずつ今年の制作物に変わっていく過程の、なんとおもしろいことか。

同じくらいの防寒度合いの同じようなものにしたいのであるけれど、もう少し形の使いやすさと編地の軽さがほしいね、しかしこれだけ糸が縮れているとかぎ針で編むのは苦労するかもしれないから棒針で編めるものかねえ。

などと考えつつ比較的単純そうなものをyou tubeから見つけてデザインを決める。なんとなく編み始めると、これはまるで去年の夢の続きを今年見ているようなものなのだ。

去年の痕跡が、残るでもなく、消えるでもなく。簡単な編み方のパターンが頭に入るころには、そこそこのペースで去年が解体されるようになるが、だからと言って今年がさほど斬新なわけでもない。私に言わせれば少し洗練はされているはずだが、興味ない人が見れば、せっかく完成したものをほどいてまだ同じようなものを編んでいる暇な人だろう。

編み上がりが少したまると手のひらのうえで伸ばして糸の癖を取って去年の夢の続きをじっくり眺める。

実のところ人って、この糸端みたいな感じでいろんな時間上に繋がったまま存在していて、どこかひとつの糸端が一歩踏み出すと全部の糸端で「私」が一斉に一歩踏み出すような仕組みに、なってたりするんじゃないかね。

解いたり、編んだり、解いたり。雨の音を聞きながら。