「ああ、こんな雑貨屋さんがあるのか」
とふらっと入った地下街のお店で、かわいいチョコレートの缶がある。
いかにも私好みの、古風なデザインのフランス製だ。
連休明けくらいから、ずっとコットンの糸を編んだりほどいたり編んだりほどいたりしている。
何をしてるのかと言えば、夏のベレー帽を編みたいのだが、なかなかサイズとフィット感の調整が難しく、「ここをもうちょっとこのように……」などと試行錯誤を繰り返しているうちに、どうも編んだぶん以上に解いた量のほうが多い。
すっかりラーメンのようにうねうねになったしまった糸にしつこくじゃれついてくるはずの猫でさえ、そろそろ暑いのでどこか遠くでひとりで寝ており、私は辛抱強く自分の頭の中にだけある理想を追い求めてはやひと月。
ほどくたびに編み針にかかっている段数マーカーを取り、解いたあとの目を拾って数え、またマーカーをつけ直すと、いつもひとつ、どこかへ行っている。
「マーカーを入れておくなにか小さい容器があったほうがいいな」
と嘆息するところまでワンセットだ。
札幌の地下街というのは、ジャミロクワイが「ヴァーチャル・インサニティ」の着想を得た場所だと話題になった異空間であり、
亡き母が「どこを歩いても全部同じに見える」と言って必ず道に迷っていた亜空間であり、
呪術廻戦のノベライズ版では死者を蘇らせる呪術師が店を開いていた魔空間でもある。
慣れすぎてしまった私にはもうその奇妙さを発見することはできないが、「未来はバーチャルな狂気でできている」と口ずさんでみればそのような空間に見えてこないこともない。
張り巡らされた地下通路のうちの「普段あまり通らない方」へちょっと折れてみれば、急に思ったより寂れている。
ジャミロクワイが流行った1996年頃は、あちこち歩いて買えもしないいろんなものを見てまわるが好きだったものだが、みんなはどこへ行ったのか。
「いつこんな雑貨店ができたんだろう」
とふらっと入った見慣れぬ店にはちょうど私好みのかわいらしい小さなチョコレート缶。
「段数マーカーを入れるのにちょうどいいな」
買って帰っていいだろうか。買って帰っていいだろうか。このまま買って帰っても?
そう、急いで家へ帰って終わらない編み物の続きをしよう。
この無限に続きそうな四角い空間から出られたら、つれなく眠たげな猫にまず帰宅の挨拶をして、不毛な手作業をこれからもずっとずっと続けよう。
慌てて逃げるように外へ出れば、5月の街頭はリラの香りの中。