晴天の霹靂

びっくりしました

古の奇習が消えていくとき

近頃は何か個人情報の登録が必要であるときに、性別の欄に「男」「女」の欄の他に「どちらでもない」あるいは「回答しない」などの第三のチェック欄があるケースが増えている。

第三の選択肢があるときは喜んでそちらを選ぶ程度には私もノンバイナリ的な感性の持ち主なので、そういうときはヨシヨシキタキタコレコレと思うのだ。

 

エライものでそうこうしていると今度は「男」「女」の選択肢しかないチェック欄に出会ったときにややイラっとするようになる。

いくばくか抗議の意を込めて空欄のままにしてみると、面白いことに「性別を選択してください」と返されることはあまりなく、そもそも無くても良かった項目のためになぜちょっとイラッとさせられたのだろうか、と肩透かし。

なんとなく手癖で使われている雑な男女二元論が、ゆっくりゆっくり消えてゆかんとする過渡期とはきっとこんなもの。

 

100円ショップで売っているプラスティック粘土である。

熱湯で柔らかくしてから自由に成形し、冷やすと固まるものだ。

 

映画の時間合わせなどでフラフラ入った雑貨屋さんなどで安物の指輪などが気に入ることがある。

「安いし、たまにはいいかな」

などと、貧しいながらも中年、ウキウキとして購入するものである。

そうやって買った指輪はだいたいのところ11号とか13号あたりを目安に作られているもので、左手の薬指あたりにフィットするケースが多い(なぜ左手なのかと言うと右はぬか床を混ぜる手だからである)

 

ところがどっこい、どんなに一目でわかる安物でも、どんなにふざけたデザインのものでも、左手の薬指に指輪をつけるというのはなんだかびっくりするほど面倒な目に合うのだ。

聞くところによるとこの国には昔、左手の薬指に指輪をつけた女にはどんなプライベートなことに踏み込んで聞いても良いという奇習があったらしく、おそらくはその名残りなのだけど、本当に面倒くさい目にあう。

 

仕方ないので子ども用の透明粘土を買ってきて指輪の内側から貼り付けてサイズの調整をし、薬指以外の指になんとか合わせるのであるが、なにぶん子どものおもちゃ。

耐久性があるわけでなし、だんだん黄ばんできたりもするし、いつの間にか裂けて落ちたりもする。

そうこうしてるうちに、きっと指輪の方をなくしてしまうのだ。

「結局、ちょっと気に入った指輪つけるのも面倒なもんだなあ」

と思うのは、毎回切ないものが、どこの指に何を装着していようと誰も気にしなくなる未来もちょっとずつ来ているものであろうと、飽くなき期待はしている。

 

 

 

他の人はどうしてるのかも興味あるところであるが、縮めたいなら100円ショップで探すとこういうタイプのものがある。奇習が風化するまでの応急処置だけども。