『カード・カウンター』を見てきました。
タイミングによっては観たい映画がほとんどない月もある中、今月はどう考えても観なればいかんだろうという作品が立て込んでいて、嬉しいけど色々大変。
『タクシードライバー』以来のマーティン・スコセッシとポール・シュレイダーという触れ込みで公開されると、避けては通りにくいのが『カード・カウンター』です。
これがまさに『タクシードライバー』以来という感じで、主人公は相変わらずぐるぐる煉獄を回っているし、若者を救い出せばなんとかなると思い込むし、閉じこもって手記とか書いてるし、行動がかなりどうかしてるし、そのわりにやたらかっこいいし。
「あー、懐かしい湯加減の煉獄だあ」
と思って、全然楽しい映画じゃないはずなのに、すごく楽しく見ました。
ずっとくよくよしてる人を愛でるジャンルの映画というのは、なんか不思議と元気でるもんですね。なんでですかね。
またどう考えても文脈から逸脱したレベルでセクシーなオスカー・アイザックから目が離せなくて。
「いやあ、グレイヘアのオールバックも綺麗なもんだねえ」
なんて思って家に帰ってハードめのムース引っ張り出してみたりして
「全然オスカー・アイザックにならないっ!」
と鏡に向かって突っ込んでみる奇行に走る45歳。
わかっているのにうっかり真似したくなる映画作るのって、天才の所業なのでありましょう。
「あ、マルクス・アウレリウス読んでる!私も読もう!」と思ったりもして、『タクシードライバー』を見てモヒカンにした70年代の若者とイチイチ変わらんですね。
久しぶりに『タクシードライバー』を見返したら、映画体験として『ジョーカー』を経由したせいで、昔みたときよりずっと、どこからどこまでが現実なのか疑わしく見えるようになっていたのが興味深いところでした。
「一人称語りである以上は全部妄想ってこともありうるからね?」
っていうのは、我々、ジョーカーにだいぶ叩き込まれてしまいましたね。