こんなに「気がすすまない」と思いながら映画館へ行くこともなかなか例がないのですが、行ってきました『東京2020オリンピック SIDE:A』
なぜって、ウカウカしてると2030年には地元にオリンピックが来かねない危うい都市に住んでいるからです。
どう考えてあんなもの来たら災害だろうという気がする身としては、あの時なにがあったのか忘れずにおく必要があるだろうということで、
「『ドクター・ストレンジ』の方が見たいよお」
と思いながら、後の祭りを観に行った次第。
あちこちで「全然人が入ってないようだ」ということで話題になっているようですが、私が見た回は結構大きなスクリーンで私を含めて観客三人。
これくらいの観客数の映画はたまにあるので、さすが次回候補地だけあって意識が高いと言ってもいいのではないか。
予告映像のナレーションによると「アスリート側の視点から描くSIDE:A」という触れ込みではあるんですが、
まず桜のイメージ映像と君が代から始まり、選手より先に森喜朗御大のドアップ、山下 泰裕JOC会長のドアップが出てくるあたりで
「なるほどそっち側の視点ですね」
という気持ちになります。
その後いくらアスリートが出てきても味付けとしてエピソードを利用されてしまった人にしか見えず、なかなかつらい思いをしました。
見ているうちに、あのオリンピック開催の夏の世論のギスギスした割れ方みたいなものに本当に嫌な思いをしたことを思い出し、暗い気持ちになってきます。
さらには「今まで感情を表に出さないようにすることを良しとして暮らしてきたけど、そういえば私いろんなことに怒ってるんだった」
ということまでつられて思い出し、頑張っているアスリートを見ながら自分を取り巻くいろんなものに対して怒る、という不思議な時間を過ごしてしまいます。
そういう意味では、たぶん制作側の意図とは全然見当違いだけど、感情を喚起するいい映画ではありました。
そうだ、私は怒っていたんだった。
映画全体としては、ぼんやりした印象で何が伝えたかったのかがはっきりしないとは言え、しかし次作で全部落とし前がつくのであればそれは監督のしてやったりの意図でありましょう。
こうなったら付き合うしかないので、膝を打って納得するようなSIDE:Bが繰り出されることを切に願うものである。