「まどろみ用読書」というものがある。
知識欲やら好奇心やらを満たしてくれる読書の他に、読みかけで電気を消して30秒後に夢の世界に入っても頭脳の中でシームレスにつながってくれる「起承転結とかストーリー性とか論理とかじゃないやつ」だ。
どこから読み始めてどこで読み終わっても気分が良くなければならない。
日頃から「今読んでいる本」の他に、かならず数種類キープしておく必要のある分野であり、この点手ぶらでうっかり眠くなってしまうと選択が間に合わないという特徴がある。
昨今、私のキープのまどろみ読書は3冊ある。
おじさんがぐるぐるする話である。
夢や睡眠は直線的な時間ではないので、眠りゆく人にとって話がぐるぐるするのは大切なポイントだ。
どうも更年期性鬱っぽい感じになってる初老の音楽家が、気分転換にでかけた先のベニスで、超絶美少年に出会ってしまう。
折しも水の都ベニスでは疫病が大流行、どう考えても早く立ち去らねばならぬのに昼も夜も美少年を追いかけて街中をさまようのだ。
最後には疫病の魔の手につかまり、ビーチで陽の光を浴びる美少年を見つめながら一人で死んでいくという、ちょっとどうしたらいいかわからない感じの話である。
「俺の人生ってなんだったのか」という出口のない抑うつの中で、死に惹かれるみたいに美少年を追いかけてぐるぐるするところを読みながら眠るのが、暗い夢を見るようでいて実は結構きらびやかな夢と区別がつかないところがすごくいい。
死の暗さとエロスの輝きの境目に美少年が立ってるところが萩尾望都っぽい。
旅の坊主が山の奥で美人に出会い、性的魅力により動物に変えられそうになるけどお経の力でぎりセーフという話である。
あらすじだけ書くとめちゃめちゃありがちな小説みたいでびっくりするけど、これだけまどろみながら読んで気持ちの良い文章というのもそうないと思う。
文の中で主体がだんだんねじれていき、今までこっちの人がしゃべっていたものが、いつのまにかこっちの人の視点になって着地する。
なにかの拍子に文末がふっと消える。
どこで誰が何をやってるのかがよくわからない文章がふわふわ入る。
現代的な、5W1Hとか、てにをはとか、論理的接続とかを強迫的に気にする文章になれた身にはそんなんじゃあ読みにくいだろ、と思ってしまいそうになるが、こっちの頭を「片足は夢の中」くらいにチューニングして読んでいると、人間の思考って本来これくらい自由で音楽的なもんだろ、と思う。
あとやっぱり夢に入っていくにはエロス大事。
城に用事があるんだが、たどり着かない話。
実は、この「たどり着かない」ということに安心して最後まで通して読んだことすら(たぶん)ない。
しかも未完の小説なのである。
書くほうが最後まで書いてないんだから、読むほうが最後まで読む義理もないだろうということで心理的負担が少なく、まどろみ読書に最適なのだ。
カフカでさえ全然たどり着かないんだから、「今日も何事も成し遂げられなかった」程度のことを凡人が気にする必要はないのだ。