晴天の霹靂

びっくりしました

歩道という概念が消える街

 

街から歩道が消えまして、まあ大変っちゃあ大変である。

もとい、本当に大変な思いをして日常生活を守ってくれる人が山のようにいるので、

「うっひゃー、歩くところがないわ」

くらいの感想で済んでるのであるし、

私はまだ滑って転んでも「やった、面白い」くらいの年齢にギリギリいるが、転ぶのが怖くて外に出られない人も多いのだと思うと申し訳ない。

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路肩の雪が身長より高くなるのも、道をウロウロと迂回して歩けそうなスペースを探しながら進むのもずいぶん久しぶりな気がする一方で

「子供のころは毎年こんなだった」

とも思うのだ。

ちょっとおぼつかないのは、自分の身長が低かったので、段差やら積雪の深さやら路肩の雪山やらが今よりだいぶ巨大に見えていた可能性もゼロとは言えないが、しかし待てよ。

 

通学路のように比較的歩道が確保されているはずのところであっても、車道と歩道の間に一歩でまたげないくらいの深い段差ができてるのは珍しくなかった。

並んで氷山から海へ飛び込むペンギンの群れのごとく、学童たちは順番に崖みたいな段差をポトポト飛び降りて横断歩道を渡ったもんだ。

あれってたぶん、車道を確保するために除雪車で歩道側に雪を全部押し付けていったので際限なしに歩道の標高が高くなっていたんだと思う。

いつ頃が境だったのかはっきり覚えてはいないけれど、夜中には「除雪」だけでなく、大きなトラックで路肩の雪もできる限り綺麗に持っていってくれる「排雪」の方も本当に丁寧にされるようになり、どんなに大雪の後でもとりあえず幹線道路と通学路だけは朝までに通れるようになった。

よほどの大雪でなければ、歩道は歩道で、車道とは別に常に確保されるようにもなった。

雪道は本当に快適になったのだ。

 

そしてこんなに除排雪が間に合わない冬を久しぶりに見て、ちょっと驚いた。

一人ぶんの広さしか幅がない歩道でなぜか路肩の雪山まで使って立体的に横に三人並んで歩く小学生のニット帽のポンポンがはしゃぐのを見ながら辛抱強く後ろをついていく。

他に道はないし、ここは通学路、彼らの道である。

そして彼らには見慣れた道がマリオカートのサーキットみたいになってるのが面白くて仕方ないのだろう。

「ねえねえ君たち、昭和の雪道ってもっとすごかったんだよ」

なんてこと言ってみようものなら、ものすごい古代から来た人だと思われるに違いあるまい。

 

 

 

 

2004年に吉永小百合主演で北海道の開拓をテーマにした『北の零年』という映画があって、明らかに大型の除雪車で大々的に雪かきをした広場みたいなところに開拓小屋がぽつんと建っていたのを見て隔世の感を持ったもんです。

「雪かきって広くやればやるほど大変だから人一人がギリ歩ける程度だけやって、あとは春まで埋まってるもんだ」みたいな意識ってもうみなさんかなりお忘れになってきてるのね、と。