「季節感のために黒豆くらいは煮るか」
という出来心からはじめて、「お節ってほどのことはないが」とかなんとか言いながらなんとなく年に一品くらいずつ増えていったのだ。
気がつけば年とともに品数は増え、近年では重箱につめればそこそこお節にも見えるんじゃないかな、と思わないでもないくらいの作りおき惣菜になってきた。
伊達巻だの、八幡巻きだの、普段ならやらないちょっと面倒なことを、酔狂でやるのはわりと面白く、せっかく一度やってうまく行ったら忘れるのがもったないので翌年もまたやってしまう。
義務ともなれば絶対やりたくないだろう程度には面倒だが、嫌にならやらなくてもいいと思いながら趣味としてやるぶんにはかなり面白い。
それにしても筑前煮というやつは、何度作っても必ず鍋からあふれるほどの量ができてしまうのは本当に不思議なことだ。
その上「こんな量絶対無駄になるな」と思っても食べきれなかった試しがないのも不思議だ。
見た目が地味なくせにやたらと手間がかかるというのも毎年なんかびっくりするし、
「なんじゃかんじゃ手間かかったわりに結局茶色いなっ!」などと素っ気ない感想を抱くが食べると実は一番うまいのも、毎年なんか感心する。
「ここにごぼう一本あるの、なんだっけ?」
とふと思う。
だいたい使い切るくらい買ったはずだが、ごぼうが余っている。
「もう泥落としちゃったし、このまま保存ってわけにはいかないからきんぴらにでもしておくか」
というので、ハレの料理でもなんでもないが急遽きんぴらごぼうを作る。
話の流れとはいえなぜ今、よりによって年末押し迫ったこの日にきんぴらごぼうを作っているのか。
と思いながら醤油で炒り煮して仕上げ味見をしていたら急に思い出した。
「八幡巻きだ!」
明日、いんげんとにんじんとごぼうを巻いて作ろうと思っていた八幡巻きのぶんのごぼうだったことを、まさに口にごぼうが半分くらい入った状態のときに思い出した。
家じゅうのごぼうがもうすでにない。
もう料理に疲れたのでレンジであたためたご飯と味噌汁ときんぴらごぼうだけで夕食を取りながら、明日しなければならぬことなど考えている。
一年ごとに一品覚えるくらいのペースでここまで来たが、よく考えてみれば一年に一個ずつくらい、毎年何か忘れている気もする。
今年は特に新しいメニューを増やしてはいないが、忘れ物の方はちゃんとした。
3歩進んで2歩下がる。今年の八幡巻はきんぴらを巻くとしよう。
もうおせち料理用の本を買って毎年反省点を書き込んでいくことにした。
ちなみに昨年は八幡巻きに具を入れすぎて切腹したという恨み節を切々と書き込んでいる。なぜか鬼門の多い八幡巻き。