晴天の霹靂

びっくりしました

師走ににじり寄る例のあれ。

ずいぶん寒いというのにベランダの豆苗たちがいつになく元気である。

これまではちょっと伸びてはすぐ猫に食べられていたものが、寒くなって猫のベランダ見回り回数が減ったおかげで、食べられる前に成長することができてるせいだろう。

さすがに常時氷点下になるこれからの季節を生き延びるのは無理にちがいなく、かと言ってやっと思う存分成長できるようになったものを片付ける気にもなかなかならない。

「このまま年を越したものかどうか」

日射しを浴びたプランターを見下ろして、コーヒー片手に考えあぐねる。

 

餅屋さんに行ってのし餅を注文してくる。

毎年「わざわざのし餅まではいらないだろう」とうっすら思いつつも季節感のために注文し、友人家族におすそ分けしたりしてると案外余らないのがちょっと不思議な気がするものだ。

みんな意外に餅を好きらしい。

目の前に出されれば結構好きなくせに、普段は忘れたふりして正月にしか食べない。

なぜなんだ。

冬のお餅屋さんは、着膨れた小鳥が枝にびっしりとまるみたいに大福が肩寄せ合って並んでおり、誇らしげで楽しい。

 

日照時間も短くなって、猫の祭壇に飾る切り花が呆れるほど長持ちするようになった。

今かざっているカリメロも、いつ買ったか思い出せないくらい元気でいるが、おそらくはハロウィンくらいから我が家にあるはずだ。

水をかえるたびに少しずつ切り戻すので短くなって、合わせて器も丈の低いものに変え、ついにはマグカップに活けることになる。

白い粉引きのカップの中に低く咲く三色の菊の花も、雪景色の野原のようである。

見てるとうっかり新しいマグカップが欲しくなったりするのもこの季節だ。

 

スーパーでは冬菇やら筍やら数の子やらが出回り初めているのをじっと見て

「はて、これはどのタイミングで買うのが安いのであったか?」

と去年までの記憶を辿ろうとする。

結局何も思い出せずに肩をすくめて通り過ぎるのだ。

どうしていつもこの時期に覚えておこうと思うのに、買い時をメモするなりなんなりの知恵がわかないものか。

一度過ぎてしまえば、年の瀬なんかそうしょっちゅうは来ないから大丈夫、と思っているせいに違いない。

 

「まだまだ」などとうかうかしてる間に、年末というものはいろんな方面からじわじわじわじわと、にじりよってくる。

こちらはどうかするとサボって逃げ切ろうというつもりなのに、むこうは毎年毎年、実に几帳面なものだ。