晴天の霹靂

びっくりしました

腹の上の猫をめぐる洞察

真夜中に苦しくて目を覚ますと、腹の上で猫が寝ている。

暗がりの中で、私の呼吸に合わせてかすかに浮き沈みしている黒猫。

かわいい。

いや、そうじゃない。苦しい。

「ちょっ、ちょっとまろちゃん、ごめんよ」

などと言いながらそーっとそーっと寝返りを打つと、黒猫は

「なんだよ、いい夢見てたとこなのに」

という感じで、不満げにどこかに行ってしまう。

申し訳ないことだが、苦しいし眠いのだ。

猫が夜中に寒い思いをしないように、ちゃんと布団のすぐそばにホットマットをつけてある。

我々は何年も寒い季節の夜はそうやって暮らしてきたではないか。

 

それにしても苦しいな、と思って目を開けると、腹の上にまだ猫がいる。

あれ、さっき我々は一旦別れて、そして私は左を向いて寝たのではなかったか。

猫はたぶんホットマットのほうに移動したはずだ。

なぜ今、私は再び仰向きになっており、猫が呼気に合わせて浮いたり沈んだりしているのか。

「さっき」から「今」までの間にいったいどれくらいの時間が経っているのだろう。

そして猫は仰向きになるのを寝ずに待ち構えていて、私が腹を天井に向けた途端にいそいそのってきてるということなのだろうか。

「まろちゃん、ごめん。ちょっと、ちょっとあの…」

色々詫び言を言いながら再び寝返りをうって横向きになる。

猫はおそらく不満げな顔をしながらホットマットのほうへ移動する。

あまりにも二度寝力がありすぎるために不明確なのだが、我々は夜の間にこんなことを何度繰り返しているのだろう。

朝起きても、猫はやっぱり腹に居る。

 

小さくて可愛らしいが猫は本来肉食の獣である。

思うに、どこに重要な臓器が集まっていて、構造上どのへんが弱点なのか、という生き物の構造についてはある程度生来の勘が働くはずなのだ。

腹には臓器がしまってあり、柔らかいところは肋骨で保護されていない部分だから、圧迫し続けるとゆっくり生命活動が阻害されるはず、くらいのことを気づかないほどお前さんが愚かだとは思っておらんよ。

 

朝が近いのを予感してランランと目を光らせ始めた腹の上の猫の両耳の間をなでながら私は考える。

だがしかし、猫の立場になってみれば、飼い主の柔らかい腹の上で眠るというのはもっともやってみたいことのひとつだ。

暖かくて、柔らかくて、ちょうどいい具合のf分の1ゆらぎがあって、寝床としてはほぼ完璧であろう。

「寝てる間に消化器系を圧迫し続けると生命維持活動に悪そうだけど、死ぬほどでもないだろうし、仕方ないかあ」

程度の逡巡を一瞬感じて、しかるのちにそーっと腹の上に乗ってきて、気持ちよくって寝るんだろうか。

「ねえ、そういうことなの?」

寝ぼけながら話しかけると、なぜか気をよくした猫は盛大にゴロゴロ言ってご機嫌である。

 

私だって自分が猫なら飼い主の腹の上で寝る誘惑には耐えられないだろう。

しかし、この場合、なぜ私が猫で、彼女のほうが飼い主ではないのだろうか。

 

 

猫にも人間にも長年大人気のミニホットマット。毎年仲良く奪い合って、現在二代目。