ワクチン一回目接種も終了してから一週間経ったので久々の劇場映画鑑賞、シャマランの『オールド』を見てきましたよ。
面白かった。
トレイラーを見るとバッキバキのスリラーに見えるのだけど、実際に見た印象ではむしろ、いたずらに刺激を追わないカメラアングルやら、時とともに変化する感受性に対する描写の仕方やら、静かな印象の映画でした。
急にびっくりさせられることが苦手な私としては、非常に高感度が高い作り。
少女期から色々すっ飛ばして思春期になったしまった少女が、「世界が全然違う。さっきまでは色が少なくて鮮やかだったけど、今は色の数が増えて穏やかになっている」っていう表現の仕方をするんです。
ああ、もう天才。と思いました。
もはや正確には思い出せないけれど、たしかに成長期の世界はそうだったような気がする。
そして子供が大人になる過程で味わわねばならぬほぼ暴力的「成長の気まずさ」が一気に可視化されるシーンの、おもしろさたるや、ですよ。
劇場にいてあのシーンでどれくらい気まずい思いをしたかを、ぜひ見た人と語り合いたい。
本来は子どもが大人になるまでの間にはそれなりの時間があるから、「気まずさ」も薄めて伸ばして隠して見えにくくしていけばなんとか社会生活の中に組み込めるけど、誰にも心の準備ができてないうちにワンビジュアルで成立させられてしまうと、こんなに誰の手にも負えないものか、と。
非常に後ろめたい思いを抱えながら大笑いでした。
その一方で、老いて片耳が聞こえなくなったり目が悪くなったりした夫婦が、まさにその隔絶によって急に世界の優しさに包まれていく表現も素晴らしい。
今までなんとか脱出しようとしていた場所に居て、状況は変わっていないのに、情報のインプット量が減っただけで
「なにをもがいていたんだろうか。ここはいいところじゃないか」
と、穏やかに微笑み始めます。
ちょっと老いることが羨ましくなるくらい美しい描写でした。
見てると、それは間違いなく、コロナウイルスとともにある社会のことを想起させるのです。
脱出不可能な空間に閉じ込めれて「プロムもパーティーも知らずに大人になるの?」と戸惑う若者がいて、
極限状態の中であぶり出されてしまう、平素は上手に隠していた差別心があり、
陰謀論にとらわれて見当違いになところを攻撃しはじめる人がいる。
一方大きな社会実験場となっている我らが緊急事態ビーチでは
ワクチン二回接種完了の目処も経ってきたからブースターの確保を考え始めますって、得意になって言う政治家がいて、
一回目も十分行き渡ってない国もまだたくさんあることについてはどう受け止められたらいいのか測りかねてる一般国民としての気持ちがあり、
他方、だいたい打ち終わったからマスクなしでコロナ発生前の世界に戻ったみたいに暮らせている国の情報も視界に入ってくる。
そして世界がこれほど人の想像を超える変化を経由してしまった以上、娯楽には何ができるんだろうかということをじっと観察しながら考えていた映画監督という職業の人が、いるのでしょう。
そのシャマランが、カメラ越しに覗いている。
いやー、おもしろかったわー。いい方のシャマランだったわー。
と思いながら家に帰ったら、これがまた、超びっくりです。
一週間前にモデルナ製のワクチンを打ったところが腫れてきてるではないですか。
いや、腫れるのは知ってたけど、ちょうど先週、打った日の夜から腫れはじめて翌日一日腫れて、その次の日に痒くなりながら治まったんですけど?
なぜゾンビ復活するの?変な映画みたから時間が歪んでる?
と思ってまたグーグル検索ですよ。
シャマランの映画がモデルナワクチンの副反応再来を誘発した例があるかどうか。
そしたらモデルナアームは接種後一週間くらいで腫れるのが普通で、その日の夜から腫れだした一回目の方がむしろちょっと変わった症状の出方だったらしい。
一週間後にこうやって正式に腫れるつもりなら、なんで直後に挨拶代わりみたいにちょっと腫れたんだよ、完全にいらないやつだろ!
などと、思っても仕方のないことなのでした。
「やたら眠いしちょっとばかり関節が痛いかも。動くと少し頭痛いかも?」
と風邪の初期症状みたいなものに見舞われ、しばし横になっていたりしたもんです。
横になりつつ
「そういえば、あのお母さんが思わせぶりに読んでいた本はなんだった?っていうか、マーロン・ブランドとジャック・ニコルソンがダブル主演の映画って何?」
などと、いろいろ思い起こして反芻するのに最適の、適度につっこみどころが置き去りにされつつ、全体としての印象は楽しい副反応映画でした。
家に持ち帰ってからもしばらく楽しめる映画っていいよね。