晴天の霹靂

びっくりしました

秋の猫を撫でる

スマホに「天気痛予報アプリ」を入れているので

気圧が乱れる直前になると「天気痛に注意です」という通知が来たりする。

なんとなくやる気がでないタイミングと天気痛警報のタイミングが一致すると

「はいはい、私のせいじゃないもんねーっ」

という開き直りがしやすくなって、気分もいい。

 

今日はやけに一日中眠くてあまり動きたくないなあ、などと思っていたら、これから気圧が下がると通知が来ていた。

「よしよし、そういうことか」

と思って机を離れ、畳んだタオルケットの上に丸くなっている猫のところへ遊びにいく。

 

彼女は近頃はよくそこで、寝てるような起きているような曖昧な顔をしている。

暑い季節が終わって、いつの間にか毛並みが冬仕様になりつつある猫は、手触りが素晴らしいのだ。

うちの猫は、産毛のような短く柔らかい毛と、長くて太めの毛の生えるダブルコート仕様で、とくに冬毛の季節ともなれば、みちみちのふかふかである。

「ああ、一生コレだけを撫でていよう。人生でこれ以上に大切なことなどあろうはずがないではないか。猫を撫でる以外のことは、もう断じてなにもしないっ!」

と、妙な確信を込めて撫でていると、猫の方も肌寂しい季節のせいか案外嫌な顔もせずにされるがままになっている。

ひとしきり撫で回すとそのうち、しきりにあくびをするようになってくるので、閉じかけたかわいい口の中に指の先をちょっと入れてみたりしてしつこく遊ぶが、それでも彼女はまだ怒らない。

人恋しい季節ってのは、悪くないものだ。

 

ごろごろ言いながらされるがままに撫でられていた猫もやがて、相変わらずごろごろ言いながら

「じゃあまあ、ワタシそろそろ行くわ」

という感じでどこぞへ捌けていく。

タオルケットの猫型くぼみの横に頭を載せたまま取り残された私も

「あら、そうお?一生猫だけ撫でてるつもりだったんだけど」

などと思いながら、結構気分よくなってまた机に戻る。

 

猫と一緒にいると「一生」の気分が「五分」くらいの中に難なく収まることが時々あって、これは猫が持つが特殊能力のうちのひとつに違いないのだ。