ものすごく面白かったので、これがこのまま2023年のベスト映画になっても私は驚かんよ。
アイルランドの小さな島で、ある日突然おじさんが長年の飲み友達のおじいさんから
「お前は話がつまらんから絶交だ」
と言われる話です。
絶交までの経緯も、その後のことも何も説明はないので、ただ絶交という出来事が観客に向かって放り出されるだけ。
「それであなたはどう見た?」
ってのを、誰かと語りたくなる映画でした。
邦題が『イニシェリン島の精霊』になっているせいでかえってわかりにくい部分があるようにも思うのですが、原題は「イニシェリンのバンシー」。
「バンシー」はアイルランドの言い伝えで死を伝えにくる妖精のことらしいのです。
絶交おじいさんは、親友のコリン・ファースに絶交を言い渡して、
「お前のつまんない話を聞いて時間を無駄にしないで、俺は作曲をする」
って言って作り始めた曲のタイトルが「イニシェリンのバンシー」なのです。
「つまり、これはおじいさんが死の恐怖と格闘している話だぞ」というふうに私は観たのでした。
どんな経緯があったのかはわかりませんが絶交おじいさんは
「ああ、自分の人生ってやがて終わるんだな」
って、ある日ふと思ったんでしょう。
寄る年波かもしれないし、海の向こうアイルランド本土で内戦をしてるのが日々見えている状況下、もしかしたらそこで誰かが亡くなったのかもしれない。
なんとなくふっと死に取り憑かれる。
この絶交おじいさんはあんまりしゃべらないものの、家の中に世界各地のペルソナを大量にぶら下げていたり、窓辺に望遠鏡を置いていたりして、明らかに内面が複雑なタイプの人であるし、外の世界への野心も強く持っています。
音大に行った形跡もあるから、いったんはあの小さい島も離れ、もっと広い世界も見た経験もあるのに、何の因果かまた舞い戻ってきて、過疎地で人知れず老境に差し掛かっている。
長い年月「自分はこんなところで埋もれていていいのだろうか」という煩悶を一方で抱えているのを、ぐっと年下で陽気で親切なコリン・ファースの満ち足りた人生観が慰めになっていたのではないか。
ある日取り憑いてきた死の予感と自分の人生に対する苛立ちは、もっとも甘えを許してくれる存在であるその親友へ向かいます。
自分の人生がこれほど何もないのは、こんなに野心もなく満足しきった友人のせいじゃないか。
そもそもパブも商店も港も郵便局も道路もひとつずつしか無いような小さい島でお互いご近所同士。
物理的に絶交のしようもないのに、わざわざ「絶交だ」と言ってまわって指まで切り落とすのは
「自分はこんなに死が怖いのに、どうして最も親しいあんたがわかってくれないんだ」
という苛立ちに見えます。
コリン・ファースのほうがどう見てもだいぶ若いので、同じ重さで死のことを考えるのが難しいとしても本人のせいではないんですが、そこは友情の切なさ。
小さいコミュニティがギクシャクしはじめた中で、ある者は閉鎖的な島から出ていくことを選び、別の者は外の世界への希望を持ちえず島で死を選び、そしてなかよしのおじさんとおじいさんはふたりで内的葛藤に向き合う道を選ぶ。
内的世界で起こってることは一世一代の大事件だけど、絶景の中で画角を引いて見ると超コメディでもある。
と、いうように私はだいぶおじいさん側の視点で話が見えておりました。
絶交されるコリン・ファースの方の視点で話が見える人も多かろうと思うし、しみじみ興味深い話でした。
人生も折り返しを過ぎると、死について語ってくれる映画は本当に貴重だと思うようになるもんです。
気持わかるよ、絶交おじいさん。