晴天の霹靂

びっくりしました

ネギ畑への唐突な挿し木 ~『秘密の花園』願望を推し進める

グラスに活けていた雪柳の枝は、あきれるほどの勢いで一気に蕾から満開になったあと、それこそ雪の降るような勢いで猛然と散った。

「これこれ君たち、室内であまり自由奔放に舞い散ってはいけないね」
と思ったわたしは、新しく小さな花束を買った。
ピンクのスイートピーである。

パック寿司についてくるガリのような、昭和アイドルのドレスのような、薄くてピンクでふりふりひらひらした生命体だ。
「できるだけかわいいと思われ遠くへ運んでもらわねばならぬという花の使命は理解するが、それにしたって見え透いているのではないかね」

などと指摘したくもなるほどの、率直なかわいらしさアピールに、店先でややも悩んだのだが、連れて帰ってみて水に挿せば実際心はウキウキする。

かわいいものはかわいい。

 

さて、そこでピンクのスイートピーといれちがいにグラスから卒業していかねばらなぬのは、いまや紅白歌合戦ばりに散りに散ってる散りざかり雪柳の枝である。
あらかた散ったとはいえ、まだ小さな白い花はいくつもついている。
「君たちには、いくら散っても問題のない新天地で、ぜひ頑張りぬいてもらいたい」

心の訓示を垂れたわたしは狭いベランダの窓をカラカラ開き、プランターの前にしゃがみ込んだ。

ただ土が入ってるだけに見えるプランター。しかし、私だけはそこにネギの根っこが埋まっていることを知っている。

私にだけみえる「未来の味噌汁用ネギ畑」だ。

 

おもむろに右手に握った枝を一本ずつ、ネギ畑に挿していく。

数ある中でももっともたくましかった雪柳の枝、2020年の年末年始からずっと共に暮らしてきた松の枝、花が全部落ちて何の枝だがさっぱりわからなくなり果てた桃の枝。ひとつだけまだ花穂のついている猫柳。
捨てるに忍びない、まだ生命力の残滓を感じる枝たちを残らずプランターに挿した。

「挿し枝というのはこういうことなのか。これで合っているのか?」

と考えるまでもなく、これはだいぶ間違えているような気がする。


そもそも土の中には、生きてるのかどうかよくわからないネギの根っこが埋めてあるのだ。ネギと桃の寄せ植えというのはさすがにどこの世界にもないんじゃないか。

あまつさえいろいろ面白くなってきてはずみで採取したピーマンの種まで埋まってる。絶対そんな取り合わせの共同生活など起こりえない。

発芽しなければ単に腐敗の原因になるであろうものをそんなにごちゃごちゃ入れていいものか。

こういう、どう扱ったらよいのかよくわからないものに対する私の振る舞いの雑さというのは、我ながらどうかしてると思う。

 

手にした枝を全部挿し終えたら、四角いプランターは原始的な祭祀用の遺跡みたいになった。そして、これは実際、原始的な祭祀のための実験なのである。
「なんか生命って、頑張れるときは頑張れるし、頑張れないときは頑張れないらしいじゃない?」
というぼんやりと伝え聞く噂について、私はなんらかの知識を得たい。
どういう方面でもいいからなにか予想を裏切って驚かされたくて、プランターの中の四角い土についついいろいろ放り込んでしまう。

 

「どんな子どもでも庭を与えておけばわりと勝手に育つっぽい」

という似たような内容の二大児童文学といえば『秘密の花園』と『トムは真夜中の庭で』である。近頃両方とも読み返したが、どっちもやっぱり面白くて感心した。

死んでるように見えてもちゃんと生きている植物には、心の中に止まった時間を持つ動物の生活を修繕して前に進めてくれる機能があるものなのかもしれない。

私のネギ畑は、ついに「未来の味噌汁用ネギ畑」であることを自ら乗り越えて、「秘密の花園(ネギ入り)」へと進化したのである。

 

 

秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)

秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)

 

 「庭さえ作れば、醜い子もかわいくなるし、健康になるし、性格もよくなるし、友達もできて、人生すべてうまくいくよっ!」という、風変わりな新興宗教みたいに見えなくもないのがおかしいのだけど、実際ある一定の説得力があって実に楽しく読んでしまう。

 

 

トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))

トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))

 

日本における知名度は『秘密の花園』より低いような気がするけれど、作品としてはこちらの方がかなりよくできているように思える。しかし子どもが手に取るには挿絵がなんか怖すぎる気がするのが昔から不思議だった。

 

 

ターシャの庭

ターシャの庭

 

 NHKで取り上げたことで20年くらい前にガーデニングブームを起こした絵本作家ターシャ・テューダーの庭の写真集。庭どころかベランダさえもないワンルームに暮らしていた私も当時2冊ほど買った。あまり深く考えずに読んでいたけれど、花の写真が見たかったというよりは、やっぱり再生への願望だったような気もする。