レンギョウの枝を買って帰ってきたのは吹雪の日だった。
ただでさえ幅の狭くなっている冬の歩道を、肩をすぼめつつ大きな枝を持ち歩く私に向かっても春の吹雪は強く吹き付け、十文字形に咲く黄色い花弁にまで雪が積もった。
250円と、セットの切り花にしてもずいぶん安かったのは、いかにも扱いにくそうな野放図な伸び方だったせいではないかと思う。
家についてからグラスに収まる大きさに剪定するにも、家にあるキッチンばさみでは固くて歯が立たず一苦労した。
それでも私は春らしい黄色の鮮やかさと値段にひかれて連れて帰ってきたのだ。
だから、その中になにやら細くひょろひょろと伸びた枝がついでみたいにあわせてあることをほとんど気にもとめていなかった。
なんだかわからないくらいびっしりと蕾がついていたのに、「まさかすでに切られたものがこんな数咲くわけがない」と見落としていた。いや、期待を持つことを自粛したと言ってもいいかもしれない。
いくら猫の爪先ほどの小ささとはいえ、それほど多くの花が次々咲くなぞという贅沢を250円くらいで楽しもうなんて、自分勝手な夢ではないか。
ましてや、レンギョウを買ったら「なんかついてきた枝」のことである。
活けてる間にもうっかりちぎってしまいそうなくらい細く華奢な枝はしかし、私の雑な扱いにも一向にひるむことなく、元気に我が家で暮らしはじめた。
ただ枝に付着した小さな緑の粒だったものが、咲くとじつは白い花だということを、翌朝には証明してみせたのだ。
一粒、米がはぜるようにして咲いたと思えば、数日でこぼれるようにしていっせいに枝をおおいつくしていき、存在感あるレンギョウをも霞ませる勢力を見せつけた。
「いったいこれは何という名前の神秘であろう」
私は、目をやるたびに驚嘆した。
手持ちの花図鑑には、その元気旺盛な植物の名前はのっていなかったが、この一見小さくささやかだが、実は饒舌に謳歌される生命力の名前をぜひとも知らないでは済まされない。
仕方ないので「白い小さい花 枝」でググる。
まさか白い小さい花のさく枝が世界に一種類しかないわけではないだろうが、あっという間に「ユキヤナギ」であることが判明した。なんというグーグル。
そうか、これが雪柳なのか。
奇しくも春の吹雪を浴びながら抱えてきた枝。平凡なコップの中にあっても刻々と幻想的なこの小さな絶景の名前が、雪柳。
おそらくは、咲くまでの姿があまりにもさり気なく、そして咲き初めてから先の展開があまりにも幻想的なので「この小さい花の名前はなんであろうか」と居ても立ってもいられなくなる人が世にたくさんいて、それがグーグル先生にも反映されているのだろう。こんな切り取られたコップの中からでさえも、その驚きを共有できて嬉しく思う。
その小さな花の名前は、ユキヤナギ。