小さなグラスの中で紫陽花が咲いた。
ほどほどの日差しがふんわり降り注ぎ、遠慮がちにそそくさと暮れていくこのところの気候が切り花に良いのは明らかで、寒くなってから買った花はどれも驚くほど長持ちしている。
それだけでなく、栄養入りの延命剤に活けてあることも手伝って、ちゃんと成長もし、根がないなりに植物としての天寿をまっとうしてくれる様子には、しばしば感心させられている。
小正月の頃に買ってきた紫陽花の、あの「いわゆる紫陽花」が実は花ではないことは、よく聞くことでもあってちゃんと知っていた。
しかしアレが花でないとなると、どこかに花が咲くはずであり、それはいったいどんなふうに咲くのかということについて、ほとんど考えてみたことがなかったのだ。
しかし、一目瞭然、目の前で咲くと「なるほどこれこそが花だっ!」と一気に納得する。
昨日まで「花ですよ」というような顔をして堂々としていた紫陽花部分の、ちょうど真ん中のところに、本当に小さくてかわいらしい花が、ポロンと溢れるように咲いた。
「なるほどたしかに君こそが花だ。してみると例のアレは巷説にある通りやはりガクだったのだね」
花屋さんにあってはぱっと目を引く立派な花こそが評価されるのはもっともなことで、紫陽花が花よりガクで愛されるのも納得のゆくところでもあるが、ひとたび家に連れ帰ってきて同じ空気を吸った仲となれば、姿を変えながら生きる姿を見せてくれていることこそが嬉しい。
我が家に来てひと月ほどで、「我こそが花である」と期待されてもないところにいきなり主張してきたのは大した頑張りではないか。
そうかそうか、少ない栄養でよくここまでやってくれた。
こんなにも小さく、こんなにも物言わぬ中にあっても生きているというのはやはりこう、ちょっと驚きと感動をはらむものであるな。
高温と直射日光さえ避けられれば長持ちするのみならず、思いがけない花がぽわっと咲いたり松の枝の先でまつぼっくりが成長したり、色々楽しいのでキープフラワー、侮れない。