晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

光の蝶追いかけている猫寝言

年越しに買った生花に入っていた松の枝先から小指の爪くらいのサイズの松ぼっくりがポコポコと生え、同じような日々を送っているようでいて季節が動いているのだなあと実感させられる。

年越し用の生花には、流通上の理由からであろう、花よりも長持ちする枝ものがおおくて、南天やら、葉も実もないので名前を調べようもない植物棒やら、これまた目立ちさえすればなんでも商品だとばかり銀のスプレーで着色されてしまった謎の小枝まで、何本も細い木が入っていた。

愛想のない木の枝は、その分枯れることもないので花と一緒にいつまでもグラスに挿してなんとなく世話をしていたら、謎の植物棒からはたくさんの生き生きとした葉が出てきて、魔法のようだ。

葉が出たからには、このまま花が咲いて実もつくのだろうか。

正月から春まで、きちんと一筆書きで続くサイクルであることが、小さなグラスの中の劇場に映し出される。

 

グラスの外はまだまだ長く続く冬で、毎朝雪の心配をし、光熱費に頭を悩ませ、猫と毛布を分け合ったりする日がなかなか終わる気はしない。

「今日は猫の日だって」

それでも真冬のころよりちょこちょことこたつから顔を出すようになった猫に、2月22日のお祝いを言う。

なんとなく正中線がずれた姿勢のままぼんやり座ってこちらを見る猫。

「おまえさん、最近よく寝ぼけてるねえ」

近頃は寝言も多いし、きっと春先の猫はいつもよりちょっと良い夢を見るのだと思う。