2021年は、手洗いで俳句の日めくりカレンダーを使っている。
俳句やら、季語やら、七十二候やら、月齢やら。
毎日、知ってるような知らないような情報が満載で楽しい。
いつものように朝 めくると、今日は藪入り。
松も取れたこの時期に、丁稚さんたちもやっと束の間家に帰るのだ。
そうかそうか、こんな寒い季節に。
暦をめくって朝の掃除をしていて、ふと猫の祭壇を拭く手が止まる。
グラスに挿した南天の枝に何か白いものが引っかかっているようだ。
取り除こうとして初めて、それが小さな花だということに気づいた。
南天は、咲くのか。
……でも、こんな実のあとで?
暮れから活けてある松と南天は縁起物だから、小正月が終わってもいつまでも飾っておくのも良くないのではないか、と思っていったんは片付けようとしたのだ。
新しくアジサイの小さいのを買ってきて、いざ替えようとはしたものの、やっぱりまだ青々している松や赤い実がついた南天を下げてしまうのはその生命力に対して忍びがたく、そのまま松と南天とアジサイを全部取り合わせて飾っておいた。
そういえば、昨日寝しなに考えていた。
去年の夏、急に体調を悪くしてあっという間に居なくなってしまったあの我慢強い性格の虎猫は、本当はいつから具合が悪かったのかしら。
夜の暗さの中でそんなことを思うと切なくてぽろぽろと泣きながら眠った。
あの時、南天は音もせずに咲いたのだろうか。
「藪入りだから、帰ってきたの?」
見れば、白い花はふたつ。
私と、それから彼の妹分であった黒猫と、ふたり分ひっそり咲いているではないか。
南天が縁起物なのは「難を転じる」に掛けてのことだという。
本当にお前は優しいから気を使わせてばっかりだったけど、大丈夫私とマロと、二人でちゃんと暮らしているよ。
いつでも、何回でも、またきっと帰っておいで。
白い花、どうもありがとう。