晴天の霹靂

びっくりしました

ネギ畑に雪がふる ~ビギナーの見切り発車および先達の冷徹

ネギ畑に雪が積もった。
 もとい、ネギ畑ではなくただ土が入っているだけのプランターである。

一見するとそこには土しかないが、その下一センチくらいのところには、小口ネギの根っこが十本ほど埋まっている。
すなわち、私の目には細く天へ向かう青色の筋が味噌汁のために風にそよぐ未来が見えているのである。

 

 日差しが暖かくなってきたことに浮足だって引っ越しのときに持ってきた空のプランターを引っ張り出したのはつい数日前だ。

ついでのことなのでベランダで青じそやらサツマイモやら育てる趣味のある父に消息がてら「ネギの根っこを植えたぜ」と報告をしたところ、「きっとだめだ」という極限まで無駄を省いた返事が来た。
 よろしい、独居老人であることを考えると、返事が来ないのが一番心配なこと。どんな返事でもすべて「ないに比べればすごく良い。」

返信することに意義があるのだ、ありがとう。

 

 だが、そこをひとまずクリアしたうえで、ちょっと待たれよ。
私のネギの根っこに対して「きっとだめだ」とはナニゴトであるか。むしろ私はその「きっとだめだ」の中に一筋の希望を見いだせるのであれば、屈託もなくすくすく育ったネギよりもずっと多くの物語をはらみうるのではないかと思えばこそ、うっかり2月にプランターを引っ張り出して再生の喜びをネギと共有しようと思ったのであってだな……。

 

毎朝窓辺で黒い毛の中にたっぷり朝日を浴びる習慣のある猫をなでては言い聞かせているのだ。
「あそこにネギがあるからね。あれにむかって魔法をかけなさい」
朝日を浴びるプランターを見るごとに夢は大きくなる。ピーマンを調理すればワタを選り分けて種を採取し、りんごを食べれば芯から種を採取し、目につくあらゆるものから種をより分けては乾燥させてみるようになった。
「さあ来い、諦められていた生命たちよっ!」
狭いベランダの中の四角い空間は私の「あつまれどうぶつの森」である。拾ってきてはいろいろ撒けば、そこに育つものこそがドラマではあるまいか。

 

そうして今日も南向きのカーテンを開け放つ朝。我が未来のネギ畑に、白く雪の積もるのを見たのである。

先達に指摘されるまでもなく、人生は甘くないのだ。