今週のお題「ねこ」
ずっと前から知っているが、猫と暮らし始める前後でぜんぜん見方の変わる映画ってものがある。
ずいぶん古いイタリア映画である。
撮影規模がすごい、音楽がすごい、ひまわり畑がすごい、ソフィア・ローレンの顔がすごい、など全体的なインパクトが強すぎて、かえってストーリー自体の記憶はおぼろげなだった。
ずっと後になって改めて見直したときに、それら全体のインパクトの強さにひるむことなく、はっきりと一番つよい印象を残した意外なシーンがある。
新婚で浮かれまくっているソフィア・ローレンの引っ越しシーンだ。
新居の前の道路、荷物を積んだ車が今まさにやってきたその道を、あろうことか猫がまっしぐら駆け出してきて弾丸のごときスピードでそのまま車の前を横切ったのである。
あんまり危なかったので、人間なのに「にゃあっ」と変な声が出た。
なぜだ、ストーリー上どう考えてもまったく関係ない、なんの必要もないあの子は、なにを思って急に道に飛び出したのか。
見たところ、猫は無事に道を横断し終わったように思える。
撮影現場に、予測してなかった野良猫がたまたま飛び込んでくるなんてこと、あるものだろうか。
それとも案外なことに招かれた名役者で「おっちょこちょいの野良猫A」の役を、神のごとき演技力でこなしていたのだろうか。
あんまりどきどきさせられたので、あれほどソフィア・ローレンがかわいそうだったにも関わらずまたしてもストーリーの印象があやふやなまま見終わってしまった。
『ひまわり』は猫があわてる映画である。
オードリー・ヘプバーン演じる自由な女ホーリー・ゴライトリーは、「私はお金持ちと結婚するのよっ」と宣言して付き合っていた貧乏作家を捨て、かわいがっていた野良猫も捨て、一人新しい生活へ旅立つことにする。
一人になったタクシーの中で「はっ、私が愛しているのは貧乏作家だった!」と気づいたヘプバーンは慌ててタクシーをおり、恋人に駆け寄るのだが、照れ隠しのようにまず捨てた猫の方を探すのである。
どしゃぶりの雨、「ねこー!ねこー!」と叫ぶヘプバーン、殺風景な路地。
あの子どこかへ行っちゃったんだろうか、と不安の表情を見せ始めた頃、なにやら荷物運搬用の木箱の中に隠れていた猫を見つける。
ずぶ濡れのまま抱き上げ、恋人たちが猫を挟んでキスしたところで音量が上がるのは名曲『ムーンリバー』、映画史に残るラブシーンということになろう。
猫と暮らしはじめて言語によらない猫とのコミュニケーションを日常的に取る身の上になってから見ると、ちょっとばかり印象が変わる。
丸々と太っておだやかなあの猫が、ずぶ濡れにされるやら、無理に引っ張り出されるやらで、緊張して後足の指が全部開いているのが見てとれる。
我慢強くておとなしい子らしく、抵抗らしい抵抗はしないものの、ピンと張った指先を見ていると「この子は人間に気をつかう性格のために苦労してるんだろうなあ」という気持ちが先にたつ。
我が家の虎猫もわりと気をつかうタイプなので、胸が痛いのだ。
自分の気まぐれのために猫をそんなにずぶ濡れにしちゃいけない。
『ティファニーで朝食を』は、「おとなしい性格の子にしわよせがいく映画」なのである。