近頃、少しずつ暑くなってきたせいか、夏至が近くて朝が早いせいか、やや寝つきが悪くなっていた。
わりと快調だったこともあり、睡眠時間も多少減らしていた。
六月の湿度の高い暗い雨の夜。
布団の中で眠れないことに気付いたが、本を読もうというモードでもない。
どうにも寝ていられないような気がしてむくっと起き出して、動物園のシロクマのように部屋を歩きまったり、カーテンを開けて濡れた窓の外をみたりした。
しかし身体は眠いのであるな、と思ってもう一度横になってみようとはするが、横になることに変な違和感を感じてマリオネットのように壁にもたれて座る。
それを何度か続けた末に、いよいよどうしたらいいものか分からなくなった。
これはもしや不安なのではないか、という考えが脳裏をよぎる。
ひとたび思ってしまえば不安の種ももちろん発掘可能だ。
電気のついてない部屋の中をいたずらにグルグルと歩き回ったり、床に倒れてみたりしながら
「いかん、これはバグった」
と気づいた。
これはどこかのスイッチで元のルートに戻せる迷子のはずだ、と経験的にうっすら気付いているけれど、もうスイッチは見失ってしまい、感情のほうは盛り上がってしまっている。
何か間違えている、と思いながら部屋を歩いたり変なところに坐ったり倒れたり。
それでもどうやら時々、うとうともしていて夢遊病者みたいである。
その中で、虎猫がどこまで行っても必ずついてくる。
よく足元も見えてないのに暗闇で急に立ち上がったりする危なっかしい人間のあとをついてきて、静かに顔をのぞき込んだり、足の上にそっと乗ったり。
やんちゃな黒猫のほうは人間がなかなか寝ないことに痺れを切らしてお気に入りのおもちゃを引っ張り出してやかましく遊んでいる中、年上の虎猫はどこまでも自分に没頭したきりの私を守るようについてまわる。
その辛抱強さに驚いているうちに、朝方どうやらやっと寝た(床の上で)。
目を開けたらすっかり明るくなった部屋で虎猫がまだ顔の側に坐っているのが見える。
「お前は優しいね」
と言ったらちょっと涙が出そうになった。
すべすべした背中を撫でると、おとなしくなすがままになっている。
そうやって安心してもう一回うとうとし、起きたら気分爽快すっきりしていた。
「つまるところただの寝不足でした、本当にごめんなさい」
と改めて虎猫に謝る。
たった5,6年くらいの猫生の中ではじめて見る人間の奇行で、怖かったろうに。
屈託ない顔でまだ寝ている黒猫と比べてごらんよ、お前はなんて優しいか。
いい歳してはた迷惑このうえないが、いくつになってもそういう回路をかけちがっちゃうことは結構ある(恥ずかしい)。
言葉ならぬ手段でコミュニケーションをとる猫と人の間では心か身体がもっともプリミティブな弱り方をしている瞬間に一番分かり合えるものなのかもしれない。