プライムビデオの『大草原の小さな家』を懐かしさまかせでうっかり見始めたらやっぱり止まらないほど面白くてびっくりしている。
あまり面白かったので久しぶりに原作を読み直したら、テレビドラマなど足元にも及ばないくらいの感動と衝撃が詰まった面白さでまた止まらなくなる。
この「父さん」という人はこんなになんでもできる人だったか、と「父さん」の年齢をおそらく超えた今、改めて目を見張るのだ。
「耕作すれば土地がもらえるらしいから西部へ行って開墾するぞ」
と、家族を幌馬車に乗せ旅に出る。
家族五人、男手ひとり、おまけに末っ子はまだ赤ん坊だ。
人気のない土地を何日も移動するが、どうも地図をもっている様子すらない。
何を目当てに移動したのか分からないが、ある場所で突然
「よし、じゃあここに住む」
と漫画のように宣言をし、森から木を切って数日で一人で家を建てる、納屋を作る。
石と土をもってきて暖炉を作る。
井戸を掘る。
なんでもそこらへんからもってきて必要なものは全部作る。
貨幣と分業と社会に高度に依存している現代人にしてみれば、一周まわってゲームみたいに現実感がない。
「あつまれ どうぶつの森」か。
狩りをして、肉を食べ、剥いだ毛皮を現金と交換して種を買って畑を作る。
そして安定した現金収入を目指す。
人ひとりって生きていくためにこんなにたくさんの知恵と技術が使えるものか、と読んでいてうっとりするほどだ。
さらにこの「父さん」の魅力を際立たせるのはこれら必要にかられたサバイバルスキルに長けているのみでなく、「娯楽」と「芸術」の提供者でもあるところだ。
バイオリンがひけ、素晴らしいお話しをする。
狩りにでかけた森の中で木の枝に坐ってるうちに疲れが出てついうとうとした夜。
ふいに現れた鹿の親子が月光を浴びて立っている姿があんまり美しいので、家族に肉をもって帰らなくちゃと思いながらもつい見とれて撃ちそこなってしまったという、ただそれだけの話の、その幻のような不思議な魅力など何度も読み直してしまうくらいの力がある。
そしてこの家族は、自分たちのあずかり知らぬところでもっと大きな歴史のストーリーにダイレクトに投げ出されてもいる。
大草原のインディアンテリトリーを開墾しようとした時の話。
家を作り、やっと落ち着いたところで家族全員がいっぺんにおこり熱にかかってあやうく死にかけるのだ。
飼い犬のジャックが、偶然通りかかったへき地医療の医師を、無理やり家まで引っ張ってきてくれたことで危うく命拾いをするのだ。
当時はおこり熱(マラリア)が蚊が媒介するものだとはまだわかっていないから、やれ川辺で育った西瓜を食べたのが悪い、などと良く分らないところに原因を求めようとして有耶無耶にこの話は終わってしまうのだ。
しかしジャレド・ダイヤモンドを読んだ21世紀の私は、その点だけはこの家族より良く知っている。
そもそもなぜ、「父さん」が真っ先に目を付けるほど良い土地、広々としていて食料になる野生動物が豊富におり、おまけに水辺が近いという便利な場所に先住民が住んでいなかったのか。
彼等は蚊の多いところでは病気が発生しやすいことを先験的に知っていて、だからこそ便利な水辺をあえて避けて暮らしていたに違いないのだ。
彼等が苦しめられたマラリアのみならず、その他の疫病、家族総出でなんとか定着させようとした農耕や家畜の飼育、定住生活がどんな風にその後の世界と格差を形作っていったのか、ということを一端でも知ってから読むとまたこの一家の物語にはものすごく多くの物が凝縮されて詰まっている。
疫病、貨幣、宗教、経済、農耕と狩猟、などなどどういう方面に興味を持って読んでもあますところなく大人になっても面白い。
テレビドラマ版を見ていて一番鮮明に思い出したのは、インガルス夫婦がやたら「愛してるわ」と言ってキスしていたことだ。
昭和の子どもにとって茶の間のテレビでのキスはほぼ公衆わいせつに値したもんである。