ボッカチオの『デカメロン』を読んでおります。
今読まないと一生読まないだろうと思ったから試しに読んでみただけだったのですが、ほぼ同時代の作である『神曲』なんかと比べるとだいぶ読みやすくてびっくりしました。
ペストが大流行した中世のイタリア。
男女10人が集まって郊外の別荘に避難してそこで暇つぶしに10日間で一人一話ずつ、合計百の話を披露しあうという枠物語です。
たぶん今読まないとこの「枠」の設定部分をうっかり読み飛ばしてしまったと思うのですが、人口の四割が死亡したともいわれるフィレンツェのペスト災禍の時の話なのです。
疫病大流行なんて中世の遺物だろう、なんてぼーっと読んでると若者が10人集まって暇に任せた優雅な別荘暮らしと思ってしまわないでもないですが、冒頭の街中の風景の描写は本当に陰惨です。
10人とも、身近に死を感じているし、生き残ってフィレンツェに戻ったとしてもペスト以前の風景に戻ることはもうないんじゃないかくらいの、先の見えない恐怖心を抱えてもいるだろうことが、今読むとようやっと想像がつくのです(我ながら想像力ちっさいな)。
さてパンデミックサバイバーになってしまった男女が集まって何の話をするか。
ひょっとしたらこれが最後ないじゃないかという思いを抱えて人は、人に何を伝えるか。
これが、エログロナンセンスぶっこみ噂話、もうなんだかよくわからない話が延々と続くのですよね。
なんでだよっ、だからなんで今それなんだよっ。
というようなことを、今日は緊急事態宣言のニュースをチラ見しつつ読んでおりました。
どこまで読んでも特に進展もなく、かといって終わりもしないので気がつくのです。
こんなエロい人がいた、こんなずるい人がいた、こんな笑える人がいた、こんな堕落した人がいた、という話をずっとずっと重ねて「人間模様曼荼羅」みたいなものを作ってどこまでも話し続けることによって大きな厄災から癒されようとしているのだろうか、この人たちは。
そう思うと、だらだら続く話をだらだら読むという活動が、なんとなく彼らと呼吸を合わせる行為であるような、ちょっと不思議な気分になります。
今読むのが一番鋭敏な想像力で読める話なのかもしれない。