晴天の霹靂

びっくりしました

『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』~本を挟んで面白い話をしよう

本を読む人の本の話は面白い。

たぶん本を読まない人の本の話も結構おもしろいんじゃないかと思うのだけど、本を読まない人はあまり本の話をしないことが多いのだ。

 

 人生は短く、読むべき本は多い。

それならばどうやって運命の一冊に出会うことができるか、という本だ。

 

なるほど、とは思うが私はそういう悩み方はしたことがない。

基本的に、自分の理解力の低さに一定の信頼を置いてるので

「古典を手にとって、おもしろくなるまで読みこめばおもしろいんだろう」

という程度に思ってるせいだ。

人生は短く、読むべき本は多い」の文句でいえば、後半に関する認識はあるが前半の文言に関して極端に鈍感なのかもしれない。

どうせ読めるだけしか読めないと思ってるので気楽なもんだ。

 

とはいえ、「読んでも読んでもまだ世の中には面白い本がある。どうしよう!」と思ってる人の気持ちは全然わからないってこともないし、本に対してそういう熱量を持ってる人はうらやましい。

いつまでも「世界文学全集」的なものを草食動物の目で反芻し続けるより、眼差しもシャッキリした面白い人になれそうだ。

 

図書館派かー、図書館に通う人ってやっぱりいいよね。

そうそう、本は財布と置き場所が一番の問題なんだよなあ。

「大人の教養」書ね、たしかにあんなのばかり読まれ過ぎで面白くない気がする。

ピエール・バイヤールはそういう意味だったのか。私、全然読めてなかったわー。

などなど。

同意するにつけ、自分とは違うと思うにつけ、いちいち楽しく会話するように読めるのは「本を読む」という共通の経験を通した本だからこそだろう。

 

さて、この本を読んで堪らずやってみたくなったのは、中で紹介されている松岡正剛氏の「マーキング読書法」だ。

本を「メモ帳」として使い、どんどん書き込みながら読んでいく。

インプットしながら同時にアウトプットもしつつ本を作り上げていく、編集経験としての読書である。

本に書きこみをするには買って自分のものにする必要があるし、読み返すときに邪魔になるし、ということもあって普通の人が普通に読書をするのに毎回そういう方法を勧められているわけではないが、インプットとアウトプットを同時に行うというのが読書体験として面白いのは間違いない。

 

最近、翻訳違いで『ファウスト』をやたらたくさん買ったので、その中の一冊にちょっと書き込みを入れながら読んでみる。

最初に書き込みをいれるときこそ、なんだか緊張するが読み進むとこれは本当に対話のようで面白い読書だ。

 

「本」自体も読み切れないほどたくさんあるけど、「本を読む人」も知りきれないほどたくさんいるし、「本を読む方法」も試しきれないほどたくさんあるんだよなー。

なんてことを考えていたら、またちょっと本を読むことが好きになったのでとてもいい本だった。