晴天の霹靂

びっくりしました

今年もマルクス・ガブリエル祭りがやってきた

 

ここ数年、なんだか定期的にマルクス・ガブリエルを読み返しているような気がするなあという気がしていたのだけど、なんのことない毎年NHKで特集が放送されているせいだ、ということにようやく気付いた。

今年もやってきたマルクス・ガブリエル。

www.nhk.or.jp

 

この人は見ていて楽しい。

スタイリッシュで、スケボーにのって子どもみたいに登場し、出てきたら間髪入れずにいきなり本題から話しだし、悩むことも言いよどむこともなく脳髄に突き刺さるような少し甲高い声で一息に結論までしゃべる。

なにこれ、こんなデータベースに手足はやしたみたいな人類いるのかな、と思わざるを得ない。

 

カメラとともにニューヨークの街を歩きながら英語で哲学の話をする。

「この人、誰なの?」とやや失礼に聞こえないでもない声のかけ方をしてきた通りすがりの男たちに「哲学者だよ、何か聞きたいことある?」なんて朗らかに答える。

「俺達、スペイン語しかしゃべれないんだよね」っていわれると、会話のペースを全く落とさぬまま間髪入れずにスペイン語をべらべらしゃべり出したには唖然とした(本人はドイツ人)。

あらやだ、かっこいいわね。とついうっかり思ってしまうわけで。

半世紀前にサルトルが来日したときの熱狂というのもこういう「なんかかっこいいのが来たぞ」というものだったのじゃないか、などと思う。

 

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

平易でポップで、読むのは楽しいが「で、新実在論って何?」って言われると

「えっと、総体としての世界なんて存在しない?みたいな?なんかほら、存在するための意味の場ってものが、こう、あるじゃん?全部を含む意味の場ってものは……無理…なんじゃないかな?みたいな話?」と目が泳ぐ。

いいのだ、別に。誰も私にそんなこと聞かないから。

 

どれくらい正当な主張なのかはわからないけど、ホーキング博士に「宇宙の研究してる人が、その知識で世界の話とごっちゃにするのやめい」っていうツッコミをしてるのは、なんとなくイメージ的にわかりやすくてなかなか笑えた。

「宇宙」は「世界」じゃない。

 

「子供を拷問して良いわけがない」というのを自明のテーゼとして持ち出すのも印象深い。

ドストエフスキーでも見覚えのある設問だし、一般人の感覚としては分りやすいんだけども、哲学ってそこの説明を飛び越えていいの?っていうのはちょっとびっくりした。

一般人や小説家が「良いわけがない」としか言い表せないものを開いて、普遍性を持つまどろっこしい言葉にわざわざ直すのが哲学というジャンルかと思っていたので、「それって禁じ手じゃないの?」という気がしたのだ。

なんでも相対主義にしていくとシニシズムにしか行きつかないから、むしろ「こここそが全員でジャンプするところだっ」と高らかに言ったのが新実在論の「新」に当たる部分なんですか?全然違いますかね。……誰か教えて。

とにかく総体としては理解できないんだけど、そのわりに読んで愉快である。

 

 

NHKで放送のはじまった新しいドキュメンタリーのシリーズは冒頭で同行ディレクターとおしゃべりをしている。

「現実が夢じゃないってどうやったら分かる?

4歳の娘が有名な答えを出したんだよ。

『By thinking(考えることで)』。

これってデカルトだよね。

彼女は4歳で発見したんだよ」

同行のディレクターが気を利かせていう。

「おお。あなたのDNAですね」

そして上機嫌なマルクス・ガブリエル。

見てるこっちは突っ込む。

DNAが4歳児にデカルトを語らせるなんていう適当なおべんちゃらをあっさり受け取ったよっ!

人間いかに博覧強記の学者になっても、その知性はしょせん4歳女児かわいさに勝てないというのは、安心材料だ。

ヤツはAIではない。