晴天の霹靂

びっくりしました

『ヤノマミ』~何度見ても読んでも夢中になるサークル・オブ・ライフ

 

NHKのドキュメンタリーの中で好きなものは色々あるが、何度も見返しても見返すたびによりびっくりするのは『NHKスペシャル ヤノマミ』だ。

最近NHKオンデマンドのシステムが変わって旧作のアーカイブも定額で見られるようになったのでまた食い入るように見返した。

www2.nhk.or.jp

やっぱり面白いので、いつの間にか文庫化されて安くなっていた本も合わせて読む。

  根が馬鹿なのですぐ「映像のほうが面白いか、文章で読むほうが面白いか」みたいな安直なことを言って話のネタにしたくなるが、これはどっちも圧倒される

ヤノマミ (新潮文庫)

ヤノマミ (新潮文庫)

  • 作者:国分 拓
  • 発売日: 2013/10/28
  • メディア: 文庫
 

映像の方は言葉ではどうしても拾いきれない「顔」が凄いし、

文章のほうは映像に映らないように努力したのであろう取材する側の価値観が打ちのめされていくエピソードが凄い。

 

NHKスペシャルの映像を観れば、たぶん誰でも目に焼き付いて離れないのは14歳の少女が初めての出産の直後、その場で我が子を「精霊として天に返す(間引き)」か、人間として迎え入れるかの決断を迫られている、その「顔」だろう。

出産に疲れ切ったうつろな目で、足元に放り出されたままの血まみれの嬰児を力なく見ている。

赤ちゃんの父親は名乗り出てきておらず、彼女の実家には新生児を育てるだけの経済力(狩りの能力)がある働き手がないので、育てるわけにはいかないのだ。

それがどんな理由によるものでも、間引きの決断は彼女自身の決断として、その場で自身の手で行わなければならない。

疲れて思考能力も残っていないように見える14歳の少女の瞳、森の中で白く光る嬰児。

 

このシーンは文章で読むと別の衝撃がある。

少女がどうやって自分の足でおさえつけて、両手を使って子どもを天に返したか。

おもわず顔を背けたディレクターを見て、周りで出産に立ち会った大人の女たちが笑ったこと。

自分の場違いな倫理観がそこにあるべき厳粛な雰囲気を乱してしまったに違いないという動揺と葛藤。

そして150日の同居生活のあと日本に帰ったのちに、なぜか夜尿症になることまで。

分析的なことは触れていないが、たぶんこれらの経験を通して彼の中の「身体性」と「文明」が齟齬をきたしたのだろうという風に読める。

映っている側に「顔」があったように、映している側にもギリギリの「顔」があったことが、文章を読むと明確になる。

 

さらに、映像ではあまり触れていないが本ではシャーマニズムの終焉にも触れている。

政府による先住民医療制度によって保健所ができて、ヤノマミが小さな薬一粒で病気が治ることを目撃する。

あっという間に変化するシャーマンの権威。

 

偉大なシャーマンとして長くヤノマミの精神的支柱だった老人がある夜ハンモックの中で身を起こして暗闇に向かって繰り返し叫ぶ。

「私の精霊が死んでしまった!精霊がいなくなってしまった!」

科学や医療という、現代社会が無邪気にも価値中立的なものと決めた善意によって、一万年にわたって人の心の安寧を守り支えてきた生命に関する物語があっという間に消えるなんて、なかなか想像が及ばない。

 

 

これほどの濃密さで生老病死のなす術のなさを扱った作品ではあるが、映像も文章も不思議なほど私にとっては朗らかな希望が後味として残る。

それは私たちの社会が完全に袋小路にたどり着いているそれらの理不尽に対する答えを、確固として手にしたままこの一万年を生きてきた人がちゃんといるということの希望なのかもしれない。

 

私が好きなのは、ブラジルの街に勉強に行ったヤノマミの青年が集落に持ち帰ってきたDVDで『キング・コング』(ナオミ・ワッツのやつだ)の上映会をするシーンだ。

みんな大喜びで初めて見る映画に夢中になる。

偉大なシャーマンと言われる老人は見終わったあと、自分のハンモックに戻り、やがて叫びだす。

 

「私 は 見 た こと が ある。 あの 猿 は ホトカラ(注:死者が精霊となって返る天のこと) の 上 に い て、 天 を 支え て いる。

 私 は 話し た こと も ある。

あの 猿 は 天 を 支え て いる から 心配 する なと 言っ た。

それなのに、 なぜ、 猿 は ナプ (注:文明人に対する蔑称)と いる の だ。

どうして ホトカラ には い ない の だ。

私 には 分から ない。

あの 猿 は ホトカラ の 上 に いる はず なの だ」

 

老人は20分もそうやって叫び続けるが、周りの人は誰も耳を傾けない。

ひとつの共同体の価値観の消失の風景。

とても悲しい場面と思う一方で、私は何か羨ましくもある。

これほどの切実さをもってなんらかのフィクションに接したことも、これほどの決意をもって拒絶したこともない。

あの、縮尺にいまいち納得がいかない奇妙な巨大猿を見て、自分の大切な祖先たち、不慮の事故や病気でなくなった仲間たち、あるいは育てきれなかった子供たちが精霊として住む天を支えているべきじゃないかと、身を揉むほど悔しく思うような、その力強い精神世界は、私が一度も持ったことのないものだ。

おそらくはキングコング以上に生き生きとして悠久の時間天を支えてきたホトカラの猿の精霊を、私も見てみたい。

 

 

ノモレ

ノモレ

 

同じディレクターの作品。こっちはより最近の作品で文明社会とのコンフリクトが一層色濃く書かれる。

みんな苦しく悩ましい中で、なんとかひとつずつ問題を解決していこうと努力する。

 

 

 

www.nhk.or.jp

国分拡ディレクターのドキュメンタリー作品では『アウラ』も超好き。

この世界でたった一人、誰とも言葉が通じない、誰とも記憶を共有できない最後の人の、まもなくこの世から消えてしまうであろう「顔」と「声」。

 

 

こうやって『ピダハン』『ヤノマミ』『ノモレ』とアマゾン先住民を扱う作品を次々読んでいくといよいよレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』が電子書籍化されていないのがほんとうに納得いかない。

そこんとこどうか、お願いしますよ。アマゾンだけに。 

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)