四十代も半ばに差し掛かり、最近私はすごいことを発見した。
実は地球には海が多いらしい。
いやマジで。
地球儀を買ったのだ。
学童でもないのにいい大人が自分のために。
と思わないでもないでもないが、地球儀って学童の頃から一貫してずっとうっすら欲しいもののひとつでもある。
「いつも思うんだけど、ハワイって結局どのへんにあるの?」
なんてことを考えながら年を重ねるうちにいつの間にか地球儀はほしければ自分のために買える値段とサイズになっていた。
丸い地球を手にしてしげしげと見た最初の感動を記しておくならば
「海でかっ」
「ヨーロッパせまっ」
「日本予想より広っ」
であった。
世界をほぼメルカトル図法のみで把握してきた半世紀であるため、じっくり丸で見るといろんなところのサイズ感が実に変だ。
さらには「地図帳」にすると余白としてわりと雑に端折られたりしがちな「海」は、実は余白でもなんでもなく、地球の主な構成部分だ。
理屈ではどう考えてもこうなっているのに違いないのに、今まで気づかずに生きてきてしまった。
実は、地球で生きてると地球は見えないのだ。
好きな小説『百年の孤独』の中に、家族を引き連れて未開の地に移住した男が天文観測にはまり、様々な実験と考察を繰り返した結果、たったひとりで偉大な事実を突き止めるシーンがある。
恐らく子供たちは、テーブルの上座にすわった父親が長いあいだの不眠と、たかぶる妄想にやつれた熱っぽい身体を震わせながら、彼のいわゆる新発見を打ち明けたさいの、あの厳粛きわまりないおももちを生涯忘れなかったにちがいない。
「地球はな、いいかみんな、オレンジのように丸いんだぞ!」
もちろん、彼の作った村マコンドで知られてないだけで、とっくに証明ずみの理論である。
DIYの天文学のみでそんなことまで導き出した男の頭脳は天才に違いないが、外の世界でそんなことを言うのは今さらだし、村の中では頭がおかしいと思われるだけだ。
しかし彼は泰然自若としている。
これが百年続いて、そして途絶えるマコンドのソリチュードである。
実に素敵な話だ。
地球儀は、ノートパソコンの使わないキーボード部分の上に置く。
軽いので特定のキーに触れて不具合が起こったりすることもなさそうだったが、念のためにクリアファイルを下に一枚しいた。それで十分なようである。
NHKオンデマンドで、私の好きな世界のドキュメンタリーやら、映像の世紀やら見てるときにくるくる回して確認できる。
そうして私は世界から隔たった部屋の中で猫をなでならいきなり言うのだ。
「地球はな、いいか、猫よ。海ばっかりなんだぞっ」
知ったからどうということでもないし、猫だって感心はしないが、それで十分だ。
アプリをかざせば色々出るらしいが、これ自体で情報量が十分なのでまだダウンロードもしていない。