ここ数日『戦場のメリークリスマス』のメロディを耳にする機会が非常に多く、
「あの映画も子供の頃テレビで見たきりだなあ。デヴィット・ボウイとビートたけしが橋を作る話だったよなあ(違う)」
というように記憶に混乱をきたしてきたので、久しぶりに見直しておりました。
こんなにおもしろい映画だったかなあと思う一方で、そりゃあ子どもの頃に見てもわからないよな、とも思いました。
そもそも全員が何言ってるんだかほぼわからない。
デヴィット・ボウイに一目惚れした坂本龍一の乙女っぷりが、まずは見ていてたまらないではないですか。
そりゃあ、ジャングルにいきなりデヴィット・ボウイが現れたら、張り切って目張りも入れるし、夜中にこっそり見に行くし、変な声出して剣術の稽古やってうらさがられたりもしますよね。
大丈夫、だれだってマジ恋は見苦しいのよ。
恋心として普通に「あるある」な経験が、異国で、戦場で、ホモソ空間で、支配関係で、といろいろ条件が重なっていくと、「ないない」なことにみるみるなっていくのがすごい。
見ていたときは「坂本龍一の片思いかあ、初恋だったろうに切ないなあ」などと思って見てたもんですが、見終わってからしみじみ思い返すに、そうでもないっぽいところもいっぱいありましたね。
よく考えてみれば、あんなに坂本龍一のそばを離れないお小姓みたいな部下の目を盗んで夜な夜なボウイの独房に忍んで行っていたってことだよな。
そして普通は支給しないらしい敷物をこっそり貢いでいるとなると、そこで二人で何をしていたのか。
そもそも嫉妬のあまりハラキリ覚悟でボウイの暗殺計画まで企てるような親密な関係性の部下がいるくらいなら、坂本龍一もあながち初恋ってわけでもあるまい。
ボウイの方だって、せっかく脱出できたのに、なんだって逃走するのに坂本龍一からもらった敷物なんて邪魔になるものを後生大事に持って逃げようとするのか。
などと考えていくと……あれ、あの二人は端から見るよりは魚心水心って話?
また途中でボウイがそのまま高校生としてすまして出てくるところが、また「うおっ?」と声が出てくるほどびっくりさせられます。
子どものころは兄弟とも子役だったのに、数年したら兄の方だけデヴィット・ボウイになる家族システム、斬新。
ああいうところを、つじつま合わせのためだけにつまんなくしないセンスはほんとに良いと思う。
戦争中は頑なに英語を覚えなかったのに、敗戦国になって威張り散らす必要がなくなった途端にすごい勢いで英会話力を習得したビートたけしも印象深かったです。
日本の権力者ってときどき、ああいうまったく理解できないタイミングで急に笑う怖い人、おりますね。