NHKで放送している『金曜日のソロたちへ』という番組が好きでわりと観ています。
一人暮らしをしている人の部屋に定点カメラをつけて、ある日の帰宅から就寝までを観察するというもの。
普通に暮らしているだけですから見て面白いことばかりやってるわけでもないというので、画面を四分割して3つの部屋を同時に流してるので好きなところを見てればいいという、行き届いた自由研究みたいな番組です(ちなみに4分割したうちの余った一つの箱はストレッチマンという謎のキャラクターが出てきてダレそうになるとにぎやかしてくれる)。
だいたいは、普通の人がちょっと変わった拘りを持って暮らしている様子などが観測できて、その地味で不可解なところが大変に味わい深いのですが、先日、いつもの調子で見てたら4つの箱のうちのひとつがお笑い芸人の松村邦洋さんの部屋が映っていてちょっとびっくりしました。
まずはものすごい量の本や映像資料と、その中で一人でずっとモノマネの稽古をしてる様子にびっくりするわけです。パッと見、異様な部屋に異様な人が居る風景なのではありますが、見ていると生活全体にものすごい一貫性があるのが見て取れて、その真面目さにちょっと感動します。
一人暮らしのわりにはずいぶん大きな声で突然きっぱりしゃべり始める光景にもだいぶ見慣れた頃、私は聞き捨てならない言葉を耳にしたのです。
「オッケーgoogle。携帯電話探して」
googleスピーカーあったのかっ。帰宅から就寝まで部屋で結構長い時間過ごしていてスマートスピーカーに唯一用事あったのは、つい今しがたまで触ってた携帯電話がもう見つからないというヘルプだけとは。
帰ってきて「ただいま」って言ったら家じゅうの電気が一斉につくとか、テレビ見るのも「録画してたリストから〇〇流して」とか、ほかにもっとあるのじゃないか。
どうせ家で一人であんなに大声でしゃべる習慣があるならgoogleとコミュニケーション取れば超便利になることは多いはず……などと1週間ほど前にAmazon Echoを買ったばかりでスマートスピーカー熱がマックスに盛り上がってる私は前のめりで思ったりしたのです。
だが待てよ。御年52歳、完全に自分の一人暮らしスタイルの確立された部屋に住む彼にとってその部屋に必要な新たな機能って実際「物の多い部屋で携帯電話がすぐ見つからなくなるのをなんとかしたい」というただ一つだけというのは、なかなか共感が持てるところではないか。
実はその番組を見た日に、私も自宅のAmazon Echoでひとつ自分にとって大変重要な機能を発見したのです。
iPhoneとEchoをBluetoothでつないでスマホの外部スピーカーとして使う機能です。もともとそうやって使うつもりで買ったEchoでもありました。それが手元に届いてみるとBluetoothペアリング用のボタンが見たりません。
「なんだ、これじゃあ接続できないじゃん」と打ちひしがれていた矢先、人から指摘されたのです、「それは『アレクサ、Blutoothで接続して』」っていえばいいんじゃないか」。
まさかそんなことが、と思ってやってみたら本当にその通りでした。
自分の手にしているものがスマートスピーカーだということは重々理解しているつもりなのに、物理ボタンがないから使えないと思いこんでいたとは、目からうろこ。
「音声で音楽が流せるよ」とか「家電が操作できるよ」とか1個ずつ言ってもらえれば、なるほどそういうものかと思って使いこなした気にはなりますが、本質的には機械が音声で操作できるとはどうやらあまり思ってなかったのです。
スマートスピーカー、すごく便利で、どうやったらもっと面白い使い方ができるかいろいろ研究したくなっちゃうけれど、実のところは自分がいい年こいてそこそこ頭が固くなってから出てきた技術でもあって、そんなに身になじんでるわけもないのです。
「別に使いこなしてないけど、ひとつだけすごく便利」とか、そういう渋い使い方もちょっと歴史を背負ってる感じでかっこいいような気がするなあ、と思った次第。
携帯電話がどんどん小さく便利になったのに伴って、中高年の家には携帯電話発見器(むやみに高性能)も必要になるなんて、わけわかんなくていい話じゃないか。