大河ドラマ『光る君へ』の話をしますよ。
第5回あたりまでの、紫式部も道長も若く身分も軽くて比較的汚い格好で街中をほっつき歩いてる感じは楽しくて「なるほど大胆なアレンジ!」と思ってたんですが、最近ちょっと暗雲立ち込めてきていませんか。
大丈夫かしら、この後。
かなり若い年齢からずっと同じ役者さんが演じているので「今何歳くらいなのか」という非常に重要な情報が元々読み取れないのではありますが、上級貴族用の衣装を身に着けて仕事をする年頃になっても、まだどこへ行ってもまひろ、道長、直秀という身分の違う仲良し三人組がすぐ偶然会うので「京都、えらいせまいな」と思わずには居られない。
日本の映像作品、特にセットの必要な作品ではこの「異様に世界狭い問題」はほぼ毎回感じさせられるんですが、今回もやはりねえ。
あと今回の第七話「おかしきことこそ」の中では貴族の子弟が
「女は身分だよな。我々貴族は身分の高い女と結婚して女児を作り、その子を帝に嫁がせることこそが目的なんだから」
などと急に教科書的な摂関政治の説明をはじめるに至っては
「さてはお前、平安人じゃなくて現代人だな」
と気づかずにはいられない。演者が全員現代人だというのはいくら私でも最初から知ってるけども、だからこそできるだけ気づかないでいられるように精一杯努力しながら観ているんだから、それを一気に無にするようなセリフを言うのはやめてもらいたいもんです。
こっちだって頑張って観ているんだよ。吉高由里子の一本調子は正直いつまで経っても慣れないけれども、柄本佑の道長はしばしば良いところあるし。
天才政治家道長と、人類最初の小説家紫式部の悪魔合体からの藤原家安泰がいかにして起こったのかをそれぞれの出自から語り起こすなんて絶対おもしろいに決まっているのだから、現代に再解釈される機会をもった人物たちをもうちょっとのびのび活躍させてほしい。
「貴族友達が平安時代の身分制度についてぶっちゃけ話を始めたのを聞いて、道長がドン引きしており、それを紫式部がたまたま立ち聞きしている」とか、そんな脳みそ8ビットでも理解できるような交通整理まであえてしてくれなくても大丈夫。
面白かったら、途中でわからなくなってもこっちが自分で調べながら見るんだから、もっと視聴者を信用してくれ。と思った第七話でした。
楽しみにしているよ。