7月は初頭から良い本読めた。氷河期世代の人生なんなんだとか、気力がないの、頭が痛いの、肩が凝るの、とか、できるだけ文句ばっかり言いながらワシワシ歳をとっていきたいもんだと決意を新たにしたことですね。同じペースで歳をとる人が世界のあちこちにいるってのはありがたいことで。
7月はいきなり東京都知事選挙があったのでずいぶん政見放送を観たりしておりましたが、セクシズム、レイシズム、陰謀論などなど暴力的な言説に次々遭遇せざるを得なくて頭を抱えたものです。ああいう人達どうしたらいいんだろう、ということを考えて色々読んだりしてました。この本は非常に面白かった。
とくに保守系に自己啓発的なディベートが流行っている、という話は、なるほどね、と、身近にも思い当たるところがめっちゃある。
みんな動画ばっかり観てないで、もうちょっと普通に本読んだり歴史勉強したりすればいいだけなんだけどな。
7月の「100分de名著」がジョセフ・キャンベルだというのでだいぶ喜んでテキストを買ったのですが、私の興味の方向とちょっと切り口が違うような気はした。
お話って非常に人生の役にたつとは思うんだけど「役に立つんです」っていう切り口から掘られると、「そういうんじゃないから!」って言いたくなるとこないですか。
突飛なことを言う人を正面からいちいち諌めたいとは全く思わないのだけど、暴力的な言説だけ「それはちょっとやめていただけないか」と言う方法はないかしら、と思って読んだ本。
「自分の差別は差別じゃない」って言われちゃうと、実際なかなか対応がやっかいではありますね。
都知事選のあとのメディア対応のひどさにびっくりして「何が起こってるのか」と思って買って読んでしまった。
強いイメージを打ち出したいだけで主張の中身がないところは喋り方と同じなので、たぶんゴーストライターではなく本人が書いていらっしゃるんだろう。立候補以降の短期間にずいぶんたくさん本を出してるのに、全部自分で書いてるんだとしたら勤勉で優秀なところはあるのかもしれないとは思うのだけど、言葉の誤用が多いところをみるに、読まれるために書いた本ではなくて、出すために書いた本なんだろうなという印象。
石丸伸二本を読んでいて一番気になった誤用が「反転可能性テスト」っていう言葉で、どうやらマイケル・サンデルを意識して使ってる言葉らしいので、つい買い直してしまったのだけど、今さら読む気にならずになりゆきで放置になってしまった。
10年以上前に異例の大ヒットをした哲学本を今頃引用(しかも誤用)するあたりが、なんというか、中学生みたいなんだよな。マイケル・サンデルなら『実力も運のうち 能力主義は正義か? (ハヤカワ文庫NF)』の方が面白いし、読んでもらいと思ったり。
電子でなくて紙なのでちょっと番外編。これも都知事選に絡んで先住民否定とかも耳に入ってくる羽目になり、入植者の直接の子孫としてはぼんやりスルーしているわけにもいかないので前から気になっていた紙の本を買ってみた。いろんな少数者差別に言及していて入門編としては非常に読みやすい。
あなたも私も、みんなでヨレヨレと歳をとってゆこうではありませんかっ!
私は最近、寝てもいないのに寝違えてることありますよ。
タロットカード自体は前からわりと興味はあったんだけど、物語分析やらジョセフ・キャンベルやら読んでるうちに改めて再燃。限られた面積にぎゅーっとデザインを凝縮したものって見てるの楽しいのだよねえ。
こうやって並べるとちょっとオカルト系の本と歴史修正主義の本を交互に読んでるのがなかなか興味深いことですね。この人、大丈夫なのかしら。
この本も非常に面白いです。「言いっ放し」がどうして「歴史」と同じ土俵に立ててしまうのか。立証責任さえおっかぶせてしまえばどれだけ荒唐無稽な主張でもわりと言い逃げできてしまうところが恐ろしい。
半額で、220円で読めるものだからついつい読み進んで今や6巻。なにこれ、90年代のオカルト面白すぎるだろ。果たして1999年に人類は滅亡するのかっ!
現実世界でオウムやらディープステイトやらQアノンやらを通過してしまった今となってはもう新しく出てきようがない風味のフィクションのような気がするんだけど、意見を異にする人を説得しようとはしてこない世界観のひっそりとした遊び方が大変魅力的に思えたもんです。90年代ってこんなに猥雑で楽しそうだったかしら。
時代の限界なりに今ではありえない少数者に対する偏見などは散見されるのがやっぱり惜しいのだけど、それ以外はめっちゃ楽しい。