晴天の霹靂

びっくりしました

2023年末、おせちとの戦い

年の瀬である。黒豆を煮始めた。

もともとは、おかずをある程度作り置きしておく習慣があった時期に「正月なんだから多少それっぽい惣菜にするか」というのでいつもの作り置きを多少おせちに寄せるところから始めたところが出発点だった。

だから最初は、黒豆と筑前煮程度だったのだ。

それが年々「伊達巻作るのって楽しそうだよな」とか「そういえばなます好きなんだ」とか出来心でやっていくうちに年に一品くらいずつ増え、そうこうするうちになんとなく年始に会う友人におすそ分けするのも定例になる。「そういうことならボリューム系の豚の角煮もやるか」「全体に見た目が地味だからチキンロールほしいな」などという流れで肉類のレパートリーも有耶無耶のうちに拡充した。

2021年からはやもめ生活になった老父のもとへの配達まで追加されるに伴い「じゃあ酒のさかなに田作りも」などなど。ついに独り身のくせに3日がかりでおせちを作る奇習が出来上がった。

我ながらなぜこうなったのかいまひとつわからないのだけど、結局のところ季節感の問題として、年の瀬に「ああ、間に合わないっ」などと言いながら台所に籠城するのが結構気に入ってるのだろう。大人になればなるほど、季節感は自分で出していかないと、向こうからは来なくなるのだ。

それに年に一度くらいしかやらない手の込んだ料理というのは年に一度くらい作っておきたい気持ちもあるし、年に一度くらいは作っておかないとすぐ忘れてしまうのも惜しい。

あと黒豆もきんとんも田作りも伊達巻も、売ってるものはだいたい「これは食べずに飾って置くものなのかっ?」と疑うくらい雑な味付けで悲しいものばかりだが、普通に作るとどれもうまいので、毎年作ることでそれら献立の名誉回復に寄与してるような気持ちにもなる。本当はもっとずっと美味いんだよな、君たち。

 

おせち界のラスボスは何と言っても筑前煮である。地味で、祝祭感も少ないメニューであるわりにはやたら手間がかかり、毎年作り終わったときに「筑前煮ってこんなに大変だったっけ」と必ず思う。しかし食べる時に「筑前煮ってこんなに美味かったっけ」ともまた思う。素材の多く入った料理というのは、見た目がどうあれ贅沢なものだ。

結局、30日を筑前煮との戦いのためにほとんどすべて充て、日持ちしそうなものはその前日に、日持ちしなさそうなものは31日に割り振ることで、年越しをやっつける作戦に定着。

そして「そもそもなんでこんなことしてるんだろうか」と思いながら台所で大車輪の3日間を送るのだ。いつかこういうことをしなくなってからこの忙しなさを思い出すかもしれないと思えば、今年も待っていてくれる人が居るってのはずいぶんありがたいもんである。

 

2023年12月29日戦歴

豚角煮 煮はじめ

黒豆 煮はじめ

五色なます

ごぼう

田作り

 

 

本は圧倒的にKindle派だが、おせちのレシピは紙で持っている。レシピを参照するためというよりは、一年後には忘れてしまうであろう自分への申し送りをメモするための帳面として機能している。やれ「包丁は年末に研いでおけ」だの「たけのこの水煮は国産、一番小さいの」だの「チキンロールは具を入れすぎると絶対切腹する」だの、ばかみたいなことがボールペンでたくさん書き込んであるのだが、これが実際どんなレシピより役に立つ。

おかしいのは「煮物の味が薄くなるから気をつけろ」と毎年毎年書いてあることで、普段少量での料理しかしないせいで調味料の目分量が全体にセコくなるのがどうしても修正されないのだ。今っぽい。