葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子
お手洗いの俳句日めくりを破るといきなり誰かが愚痴っているの愉快な一日だ。
「……来るなと言ったではないか」
と思う日は、おそらく誰の人生にも季節の変わり目ごとくらいにはある。
こちらが「来るな」と思ってるんだから当然相手も「来たくない」と思っていそうなもんだが、世界におけるそういう連絡はどうなっているものか。
ツルでのびのびと増えて秋に咲き誇る紫の花を見た瞬間に
「あーっ、来るなと言ったではないかあっ!」
と、突如堤防決壊する心情は容易に想像できて面白い。
それでも人間は、社会的な生き物である生物であることからは決して逃れられないのであるからして、まあなんとかやっていこう。
眼鏡を買った。
7歳頃から眼鏡を作り始めて人生でいくつ作ったろうか。
一番最後に買った眼鏡は、たしか5万円くらいのもので、考えてみれば10年も前だろうか。もはやボロボロである。
JINSやらZoffやら出てきて眼鏡は安くなったのだという話を聴いてはいたが、検査終わってフレーム選んで、支払いのときには本当に膝から崩れ落ちるほど驚いた。
「眼鏡作って八千円でお釣りが来る時代になっていたとはっ!」
もちろん、フレーム選びの時点で割と安いとは思ってはいたが、我々年季の入った眼鏡っ子は身にしみて知っているのだ。
「この度数ならちょっと薄いレンズにしないと瓶底眼鏡ちゃんになってしまいますので薄型にしましょう」
「フレームからはみ出ないようにレンズの端をけずる加工が必要ですね」
「軽いプラスチックにしたほうがいいですよ」
などと色々言われてるうちにいつの間にか値段が倍くらいになる、眼鏡というのは恐ろしい買い物なのだ。
というつもりでいたら、本当に書いてある通りの値段を請求されたのでなにか間違えてるんじゃないかと思った。
価格破壊というのが決して社会に良いことではないのは30年かけて学んできたことではあるが、しかし眼鏡がこんなに買い替えやすいファッションアイテムになっていたということに関しては、正直結構心が踊った。
使い捨てコンタクトと比べても、毎年作り変えられるくらいの値段ではないか。
眼鏡店の人の、面白い話を聴いたことがある。
男性が女性の眼鏡を選ぶと、ダサいものになるんだそうだ。
なぜなら、男性は「眼鏡かけてるとちょっとダサく見えるけど自分の前で眼鏡を外すと実は美人」という設定が好きだから。
ゆえに眼鏡は男性の意見を聞かずに自分でおしゃれだと思うものを選んだほうがいい。
昔、ベストテンという歌番組があって、中森明菜がカジュアル眼鏡姿で出てきたことがあった
でっかい黒縁セルロイドのうえに明らかに鼻までずり下がっていて全然顔にあっていないのが今でも記憶に残るほど印象的だった。
二十歳ちょっと超えたくらいだったろうに、ダサさの出力まで自由自在なくらいセルフイメージが確固としてるというのも、たしかに並外れた才能だ。
新しい眼鏡をかけて街のあちこちに映る自分の姿を「やっぱりこれちょっとダサいよな」と、見ながら思う。
やっぱりこう、面白いってのはダサさなんだろうな、やっぱりな。
あと白髪が増えてくるとまた眼鏡も似合いやすくなるのかもしれないしな、うんうん。