文房具を探しに近所の大型書店に行くと、三連休のせいか、やけに子どもが多くて賑やかだ。
レジンキットの工作コーナーを見て、レターセットのコーナーでシールを選んで、何の変哲もないセロハンテープを買って。
さてそれから、いざ本の売り場。
「なるほどこんな本があるのか、Kindle版も出てるのかなあ」
などと、気になると書棚の前ですぐにアマゾンアプリを検索するのは、あまりよいことではないのだけど、利便性を考えるとKindleで読めるものはKindleで読みたい。
「おおっ、この本Kindleで読んだけど実物見るとこんなに分厚かったのか。道理で長かった」
などと思うものも結構あり、物質というのは何にせよ官能に訴えるものである。
そうそう、この本気になっていたんだよね。
と、売り場に残っていた最後の一冊であるやたら分厚い本を取り上げて開いてみる。
六センチの厚みで二段組。
試しに開いてみたのはいいが、Kindle端末のおかげでで本を支える筋力が弱っているから、しまいにはしゃがみ込んで読みはじめる。
150人が語って、150人が聴いたオーラル・ヒストリーである。
Kindle版も出ているのは知っているのだが、実際ページをめくってみると、どうやらそういうんじゃない。
これだけ厚くて重い本が、なぜ分冊になってないかと言えば、おそらくはこのボリュームそのものがコンテンツだからだろう。
行けば友達の誰かしらがいるたまり場ように、適当に開いた場所から読み始めて時間が来たところで読み終わって自分の生活に戻る。
一人の人が直接関わりを持ちうる人数の上限が150人くらいだときいたことがある。
なんとなく、うっすら知りあいになりうる人が150人中に詰まっている世界。
誰がどのへんの席順に住んでいるのか、ということまで含めて情報のうちだ。
読んでいて途中でやめたインタビューについて
「あの喫茶店のオーナーの話の続きた聴きたい。どこだ」
と思っても、なにしろ150人居るからそんなに都合よく引きあてられない。
一期一会でもあるが、しかし本の中のどこかには居るからいずれまた話の続きは聞ける。
面白いたまり場だ。
不思議なもので、そうやって贅沢な読み物の価格として4200円はちょっとためらうのである。
電子書籍なら、本当に読みたければ買ってるはずの価格なのだが、質量があるものを部屋に持ち帰るとなると、なんとなく怯むのは奇妙なことだ。
「これくらいのサイズの本はうちの猫も大好物だし」
というところを最終的な言い訳しながら買って、担いで持ち帰る。
Kindleに慣れすぎると、寝転がって読めないことに動揺を覚えるものだ。
寝る前に読めなくて、持ち運びにもむいていない本というものは、一体いつ読めばいいのであったか。
物質であることによって本の側から読むタイミングを選ばされるのも、なにやら久しぶりの体験であり、なんか「生活!」という気配があってそれもけっこうよかったりする。