気付いたのは、ほんとにここ最近それこそ数ヶ月のことだったんです。
夜、コンタクトレンズを外して(子供のころからのド近眼)、お布団に入ってKindleを開いて、読みますよ。
夜寝る前の時間帯は照明落とした部屋で猫がなんだかんだ騒いだりしますので、様子見るためにちょっとメガネ掛けたりします。
「そんなとこでなにやってんの、こっち来たら」
なんて声かけてから、手元のKindleにまた視線を戻すと、これがどうでしょう。ゲシュタルト崩壊してるじゃありませんか。
「おおっ、なんだなんだ。意味がぜんぜんわからないぞ」
なんて思って、ぱっとメガネ外しましてね。
そうすると、さっきまでの見え方にもどりますから、
「ちょっとぼんやりするけどこのままでいいや」
っていうので裸眼のままで続きを読みます。
「いやあ、深夜だし、部屋暗いし。ちょっと目疲れてたね」
なんて思うことも、数回重なるとなると、さすがにハタとよぎる思いがあるのです。
まさか。
少なくてもこの先十年は一切認めるつもりはなくて、私は単に「子供のころからド近眼」の人であることを一切譲るつもりはないですし、私が認めない限りは誰にもそんなことはさせんですけども(支離滅裂)。
まあ、それはそれとして、目についてはいろんな噂を聞きますね。
聞くだにそりゃあ不便なことになりそうな気がしてクラクラいたします。
だいたい目って耐用年数がおかしくはありませんか。
織田信長の時代でさえ「人間五十年」なのに、目は四十年ちょっとでそろそろあぶなっかしいって、誰がどういう計算のもとで設計するとそんな具合になるのか。
平均寿命まで生きるとすると、本が読みにくくなってから先の方が人生長いって。その点、どうなんだ文明社会。
とはいえ、まあ自分が嫌で嫌で仕方ないものを取り込みながら生きてゆかねばならんのだとしたら、どうせなら嫌であれば嫌であるほど、ネタとしてはちょっとおもしろいなあ、という負け惜しみによる元気回復も、もちろんいったんは考える。
「最近、近視用のメガネかけるとなんか本が読みにくいんだよ」
なんて言ったら、そりゃあ同世代以上の人は両手を挙げて喜んでくれるに違いあるまい。
……本を読みにくくなるんだとしたらすごい嫌だなあ。
……でもこれで人と仲良くなれるならちょっと得かなあ。
しかし、私は絶対に認めない。