晴天の霹靂

びっくりしました

モノビジョンの少し溶ける世界

なんとなく世界が歪んでいるような気がするし、傾いているような気がするし、頼りない。

そういう頼りない世界を足の裏で踏んで歩くと、意外にも昨日までと同じようにしっかり押し返してくるのは興味深いことである。

 

左右の視力差を今までずっとコンタクトレンズで矯正してきたものを、思うところあって、両目に度の低い方のレンズを入れて外に出てみたのである。

勝手にこういうことをやるとしかるべき方面から怒られそうなので、あんまり人に言わない方がいいのだろうが、これはちょっとした実験である。

 

世の中に、「モノビジョン」という方法があることを最近知った。

片方の目を遠くを見やすい状態に合わせ、もう片方の目を近くを見やすい状態に合わせることで両目を使えば近くから遠くまでカバーできるようになってピント調整力の衰え(老眼)に対応できる、と。

たぶん、慣れるのが大変とか、疲れやすいとか、遠近感や立体視に影響が出るとか、デメリットも多いために、すごく良さそうに聞こえるわりにあまり普及していないのではないのかと推察されるところではある。

しかし、こういう考え方にのっとって言えば、私はもともとがモノビジョン型であるのをわざわざ矯正してより遠くの一点にピントをあわせてやってきたことになる。

「これはひょっとして今こそ左右の視力差の出番なのではあるまいか?」

と、ちょっと考えてしまったとしても罪はあるまい。

 

度の弱い方のレンズを両目に入れて外に出てみる(ちなみに右が-6.5、左-5.0 まあまあの視力差だ)

いつもに比べて全体にぼんやりしているのもさることながら、なんとなくモザイク状に輪郭がはっきりしないところが入っているようで不思議な感じがする。

地面までの距離感も昨日までと少し違って、たぶん昨日から3ミリくらいずれた地上を私は歩いているのだ。

「なんとなく、世界が液体っぽくなったような気がする」

道の向こう側を歩く親子連れが、普段ならもっとはっきり見えるはずの距離なのに今日はすこしぼんやりして見えることもさることながら、父子の、子のほうはわりとちゃんと見えてるのに、父の背中だけじわじわしてる気がするのも面白い。

「液体っぽい」

と思ってちょっと頭を傾けてみたりするが、父の背中はしずくにならない。世界は世界のままである。

遠距離の世界も、中距離の世界にも、なにかちょっと私を困らせるような隙がある。

近距離の、手元だけが昨日まで私が知ってた通りの確かな世界。

だけど疲れるってほどのこともないし、これって十分やっていけそうな気がするけどなあ。

 

弱い方のコンタクトレンズを両目に入れて外出したら、お返しに世界は私が思い込んでいたほど確かではないことをカミングアウトしてきた。

誰がいつどこで見ても世界がひとつだなんて、もとから思い込みではあるが、そうだとしても無数の思い込みの交差するところに世界は実際存在する。

「これ、おもしろいけどなあ」

不自由なさそうだったら、これでやっていってもいいのかなあ。

 

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