日暮れ後の風が急に「スーンとしてるな」という心持ちがして暦を見たら立秋だ。
暑い盛りではあっても、「秋」という文字を見ると、急になんだか夏休みが終わるような寂しい気持ちになる。
時々のぞく手芸屋さんでピアスのパーツを売っているのを見つけた。
「そうか。これなあ」
としばらく立ち止まって見つめる。
我が家に、真珠が何粒かあるのだ。
2000年になくなった母が残していったネックレスだったものだ。
たぶん、地方公務員として働いていた独身時代に
「大人なら真珠のネックレスはひとつは必要だから」
とかなんとか言われてちょっと張り込んで買い、たいした出番もなく何十年も引き出しにしまっていたものだろう。
それでも母の人生では二回や三回は付ける機会もあったのかもしれないが、私にはどう考えても何もない。
なにしろ当の母と何十年かぶりに再会したらすでに骨壷だったレベルでノーイベントライフなのだから、この調子でいけば冠婚葬祭が我が身に降り掛かってくることはおそらくないのだ。
このまままた何十年引き出しの奥では真珠もかわいそうだと思ったので、崩して数珠になおしてもらい、四十九日にそれで読経してよしとした。
持っていった数珠屋さんでは「小さいけれど、ものは良い真珠だ」というようなことを、たしか言われたような気がする。
その真珠のあまったぶんが、六花亭の缶の中に数粒しまったままある。
大学生のころに面白がって開けたまま通気孔になっているピアス穴も、見たところまだふさがってはいない。
「テグスであの真珠をくくりつければピアスとして使えるんではないか?」
一番細くて丈夫そうなテグスとピアスパーツを買って帰って、いかにも不器用に何重もの玉結びでくくりつけていく。
日暮れ方の窓辺で風に吹かれながら何度もやり直していたら、夏休みの自由研究をしている小学生みたいな気持ちになった。
「一応、ピアスっぽい見た目にはなったかな」
近くで見るほどお笑い草の出来栄えではあるのだけど、気楽でいいと良いと言えば良い。
冠婚葬祭ではなく、スーパーにネギ買いにいくときにつけるのにふさわしいものに見える。
テグスに玉結びだけど、真珠自体はわりといい真珠だっていうから。
ちょうど秋の暮れ方の雲みたいな色をしている。
こんなやり方ではすぐ切れてなくなったりするのかもしれないけれど、そうやって一粒ずつなくなっていくなら、それはそれで悪くないような気もするな。
夕空に向かってピアスを揺らしながら、なんとなく過ぎていく時間のことを考えてみたりする。
どうも、あとで調べたところによると「9ピン」というパーツを使って連結するのが正解であるらしく、「そういうえばこういう形のもの、ピアスパーツの隣に売ってた!」と理解したのでありました。
なんでも物事はよく調べてから取り掛かった方がいいようだ。