スピルバーグ監督の『ウエスト・サイド・ストーリー』を見てきました。
いやあ、ウエストサイドストーリって本当に「とぅなあい、とぅなあい」ですねっ!
ロバート・ワイズ監督の作品が1961年、今から60年前の作品ということで、母の青春時代に流行ったんだという話を、子どもだった私は聞かされたもんです。
なんでも同級生が見に行って大変な感銘をうけてしまったため、一時間かけてあらすじを詳らかに語った挙げ句
「とぅなあい、とぅなあい」
と歌までつけて聞かされたのだそうです。
「それが退屈で退屈で」
と、いうのが母の『ウエストサイド物語(又聞きバージョン)』に対する感想。
後に娘もたぶんテレビ放送かなにかで鑑賞し、
「なるほど。これはきついですね、お母さん」
と思ったのでした。
2022年スピルバーグが蘇らせた『ウエストサイドストーリー』を見ると、どうして最初の作品を何も知らない日本の小娘が見て退屈だったのかとてもよくわかります。
そもそもニューヨークの片隅のスラム街で起こってるヨーロッパ系移民とプエルトルコ人、行き場のない者同士の争いだということがいまひとつピンと来ていなかったわけです。
単なる不良グループ同士の喧嘩として
「どっちか出ていけば済む話じゃん」
「適当なところで更生すればいいじゃん」
くらいに思いながら見てるとマリアとトニーの恋がそんなに悲劇的になる理由が今ひとつわからないのも道理。
どんなに苦しい思いをしても他に行く場所のない人たちの話なのだ、ということに光を当ててもらうことで、60年前のあの作品も含めて鮮明な物語として共感を生むのでした。
マリアとトニーが、まあなんかすごい状況の中でドタバタと結ばれるわけですよね。
「えっ、今その状況で……やる?」
と、見てる最中はちょっと思ったんですが、帰宅しながらじっくり考えるに
「うん、やるな。むしろあれはやるしかないな」
と思ったものですよ。
二人にはもうあの瞬間しかないギリギリの恋愛であり、マリアが少女から大人になる話でもあるのだから
「そうか、あれはむしろやらねばならぬのだな」
と思いなおしたのでした。
完全に大人のラブストーリーとしてのあのシーン、たぶん一作目ではなかったような気がするが、どうだったかしら。
ちょっと尺が長くはあったんだけど、本当に映画らしい映画を見た、おもしろかった。
さらに、さかのぼって六十年前のあの作品の面白さまでわかって、見直したくなったのは本当にすごい、と思ったのでした。
1961年版も見直したいと思ったが、意外とサブスクリプションには入っていないのでどうしようか考えている。
「人間ってワイヤーで吊らない限りそんなふうに脚上がらなくない?」
と見るたびに思ってしまうスチール写真。