11月も終わりともなれば、部屋に差し込む日は低いのですべての日向が細長い。
その細長いところに、猫が細長く寝ている。
型に水ようかんを流し入れたように、日向に対して四隅まで過不足なくきっちりぴったり黒猫が詰まっている。
器用なものだな、と目を止めて、それからしばらく仕事をし、あーあ、とまた猫を見やると、猫はまだ日向の四隅に対して過不足なくきっちぴったり寝ている。
猫は動いていない。
しかし、日向は動いているのである。
北国の冬の頼りない太陽は、出たと思ったら駆け込むようにして一目散に西に向かって進む。
さっきまで「あの辺」にあった日向は、今は「この辺」まで移動してきてる。
それなのになぜ、猫はさっきと同じ姿勢できっちぴったり収まっているのだろうか。
「どういう仕組みだろう?」
手を止めてじっと猫を見る。
「見られているな」
と感じたらしい猫はほとんど眠りこんだまま、しっぽだけ動かして加減な挨拶をする。
じーっと見ていても絶対に動いていないのに、太陽が位置を移動するとちゃんとそちらに向かって蔓は進路を変えている。
朝顔を育てていて思ったものだ。
「蔓性の植物というのはだいたい猫と同じくらいの知能があるに違いない」と。
今や我が家の猫は朝顔と同じように、油断する人間の目を盗んで全力で太陽の光を独り占めしている。
なぜか人間の通り道にばかり伸びていってしまうのも同じ。
太陽の力が弱まると、炬燵に入ってそれきり顔を見られなくなるので、朝のうちに十分に見て置く必要があるのも同じ。
思いが届いてるんだか届いてないんだかよくわからないけれど、とにかく目が離せないのも、同じである。
今週のお題「あったか~い」