晴天の霹靂

びっくりしました

ご近所銭湯「赤鬼の湯」

インターネットで近所の銭湯を検索していると、たいして見たくもないクチコミがうっかり目に入る。

「湯が熱い」

「常連優先で雰囲気が怖い」

「煙突から煙を出していて近所迷惑」

などなど、そもそも銭湯をどういう場所だと認識しているのかが不安にもなる低評価クチコミがたくさん並んでいることに、興味をひかれて行ってみた。

 

一方的な言い分と分かっていても「常連がサウナを占有して怖い」「常連がサウナに入れてくれない」「常連、常連……」といっぱい書き込んであったのを見てしまっているのは、多少の気後れがするものだ。

弓手にタオル、馬手にミニシャンプーセットを構えて、いざ伏魔殿。

 

最初に眼に飛び込むのは下足箱に置かれた一足のゴールドに光る靴だ。

こんなスパンコールみたいにキラキラ可愛いものを湯屋に履いてくるんだとすれば、中で私を待っているのは魔物どころかシンデレラに違いない。

密かに、靴の持ち主を探してみよう、と思いつつ番台に湯銭をおく。

 

引き戸を引いて洗い場に踏み入れると、ぐるりが洗い場で、真ん中がメインの浴槽になっている。

狭い割にはちょっとめずらしい造りのおかげで、ゆったりして見える。

ふーん、思ったより広々してるな、と感心して見回していたら、途端に腰をぬかしそうになった。

真っ赤な体の痩せたおばあさんがふらふらーっと目の前を横切って水風呂に飛び込んだのである。

「人間ってあんなに赤くなる?軽く茹だってるってこと?そんなに熱いのっ?」

さすがに見間違いだったのではないか、という気がして、確認したかったのだけど、もう水風呂に入ってしまった後だ。

まさか出てくるまで立ったまま見ているわけにはいくまい。

 

サウナ水風呂サウナ水風呂……と無限に繰り返していると、ああいう色になるかなあ。

いや、そんな人見たことない気がするけど。

そう思いながら体を洗って、恐る恐る中央の大きな浴槽に入る。

少し熱めだが、いいお湯だ。

 

中央の浴槽にゆっくり入っていると洗い場にいる方の人達がよく見渡せる。

ネットで、さも暗黒支配者の巣窟であるかのように書かれてしまっていたことを思い出せば、たしかに、総裁選で岸田氏が選出されてしまった瞬間の二階幹事長みたいな顔が並んでるようにも見えてくる。

しかしちょっとのぼせるまで温まったあとで洗い場に腰をおろしたときの顔なんて、誰でもだいたいああいう表情になってるものだ。

 

どの幹事長がキラキラ靴の人かな、と思って見回すと、資生堂の「ばら園」のボディシャンプーがおいてある席が見える。

へえ、洒落たものを使う人がいるな、と目に止めた。

量販店に並ぶものにしてはややお高めで、いい匂いで、置いてる店にしか置いてないシリーズだ。

サウナにでも入っているのか、持ち主の姿は見えないけれども、もしかしたらあの持ち主がキラキラ靴の人かもしれない。

 

少しのぼせてきたところで一旦出て水風呂に入って仕切り直し。

先程からサウナを使う人がしきりに出たり入ったりしているけれども、もちろん私が脇から入っても特に邪魔にされることもない。

 

最後にもうひとつの湯で温まって上がろうかと、別の浴槽の方に近づいてみて「ははーん」と思った。湯が赤い。

「なるほどなるほど。これで体が赤くなるのだな」

なんとなくしょうが紅茶みたいな匂いがすると思ったら朝鮮人参の薬湯なのだ。

首までつかって、時々手を出してみたりする。

「あんないい色になるまでにはだいぶじっくり漬けこまないとイカンのかねえ」

そう思ってしばらく待つが、それでもやはり赤くなってるようには見えない。

考えてみれば肌に色が残る薬湯というのもあまり聞かない話ではある。

「薬湯の色じゃなかったのかなあ。だとすると、あの人はなんだったんだろう?」

しばらくねばってはみたが謎はわからず、名残おしいまま上がることにする。

少しおどおどしながら入ってきたせいで、なにか見間違ったのだろうか。

 

ともあれ、こじんまりとしたいい銭湯であった。

「だいたい、こういう地元の人が何十年も大事に通ってる銭湯は『少々お邪魔します』くらいの気持ちで入るのでちょうどいいでしょうよ」

ネットの書きぶりがずいぶん一方的だったことにちょっと腹など立てながら、脱衣所の方へ向かいかけて、途端に目が釘付けになる。

 

目の前をふらふらーっと真っ赤な肌のおばあさんが歩いている。

「うっそ、今どこから来……?」

今度こそ確認のために振り返りたくはあったのだけど、あんまり失礼なので、こらえて浴場をあとにする。

やたら驚いているのが私だけらしいことから察するに、赤い肌の人が往来するのは珍しいことではなさそうなのだけど、いったい銭湯で何をやったらあんな色にっ?

 

こじんまりした銭湯と、とにかく真っ赤なおばあさんの謎。