晴天の霹靂

びっくりしました

ご近所銭湯「孫の湯」

広い浴場の流し場の端っこに陣取って頭を洗っていると、ふたつほど横でおばあさんが二人おしゃべりしながら背中を流している。

別の銭湯で、こんなふうにグルーミングを見た時は、今どきこんな古風なご近所付き合いがあるものだろうかとびっくりしたものだが、この銭湯でも同じことが行われている。

もしかしたらこのあたりでは、室内風呂設備のない住宅が比較的遅くまで残っていて銭湯文化が他地域より長く生き延びたのかもしれない。

 

「手足が短いからすぐ転がされるんだよねえ」

聞こえてくる言葉の端々では、ずいぶん物騒なことを言っている。

なにごとであるかと思えば、大相撲千秋楽の話らしい。

ふと上を見ると浴場に大型テレビがついていて、なるほど力士が映っている。

サウナにテレビのある銭湯はよくあるが、洗い場でテレビがついているのは珍しい。

いつどのタイミングで見るんだろうと思ったら、どうやら背中を流してもらってる間に見上げるのが正しいのだ。

「はいはい、どうもありがとうございます」

なんて言われながら流していたほうのおばあちゃんはどこかへ去って、流されていた方のおばあちゃんが引き続き髪など洗っている。

 

そこへ入れ替わるようにして小学生と思しき少女が来る。

「こんにちはー」

と声をかけつつプラスチックの椅子をおいて隣に座った。

照ノ富士、優勝だってー」

「興味ないでしょう?」

「知ってるよ。おじいちゃん見てるもん」

祖母と孫に見えるこの二人は、実のところ身内でもなんでもなく、銭湯友達なのだ。

こんな交友関係ってあるものか。

SNSなんかのおかげで文化やコミュニケーションはすっかり世代ごとに分断されているもんだと、ぼんやり思い込んでいた私としてはちょっと驚かされる風景である。

銭湯に来るとびっくりすることがたくさんあるものだ。

 

頭と体を洗い終わると湯おけを片付けて、露天風呂につかりにいく。

地域銭湯なのだけど、そのわりにはずいぶんと大きな施設で、町中ながらゆったりした露天風呂までついている。

露天風呂にももちろん大型テレビがついており、優勝力士が不器用そうにインタビューを受けている。

浴槽のふちにはぐるっと人が取り巻いて、興味があるんだかないんだかぼんやり照ノ富士を見ている、その中に溶け込んでいると、なんだか大家族の正月の心持ちがしてくる。

 

「あっ、こんにちはー」

どこかで聞いたような声が耳に飛び込んだ。

私とテレビを結ぶ直線状にいたおばあちゃんに挨拶をしたそのよく通る声は、さきほどの洗い場の女の子だ。

引き戸を引いて元気よく入ってくると、するりと目当てのお友達の傍らに収まっておしゃべりをはじめる。

なんと、銭湯で次々と常連のおばあちゃんたちと友情を結ぶおばあちゃんキラーだったのだ。

 

テレビではマスクをつけた舞の海秀平氏が、たぶん結構良いことを言っているのであるのが、私は目の前のガールズトークがもう気になって仕方ない。

「授業はもう、インターネットでやるのかい」

「それもあるよ。今度パソコン持って帰らないといけない。みんなタブレットだけど、私パソコンだから面倒くさいんだー」

少女(五年生)は、デジタルに関してはたいていの大人より自分の方が詳しいという自負があるせいか、得意げによく喋るのだが、状況の説明をほとんどしないので、今ひとつなんだか分からない。

それにたいしてお友達(おばあちゃん)のほうも、どうやら世代のわりには比較的デジタル方面に強いという自負があるのか、そのぼんやりした話を果敢にひきとって続けようとする。

「パソコンでなくってタブレットでなくって、あれ。もうひとつあるしょ」

「あ、グーグル?」

「いやいや、グーグルでなくってさ」

 

湯気の向こうに少女(五年生)が見え、お友達(おばあちゃん)が見え、そして妙義龍(技能賞)が見えている。

「あんたたちはみんなパソコンなんか使えるのかい」

「使えない人もいるけど、結構みんな使えるよ」

「あんたたちも大変だけど、先生も大変だねえ」

「先生が一番ついていけてないよ。授業中にスマホで調べてるもん」

「それは、授業の前に下調べしといてもらいたいよねえ」

なんだか感心しているお友達(おばあちゃん)の様子を見て楽しくなってきたらしい少女(五年生)はついに、担任は30代で後頭部が禿げており、顔が猿に似ているのできっと人間とチンパンジーのハーフに違いない、などと可愛い声でひどいことを言い始めた。

 

お友達(おばあちゃん)が、たしなめたものかどうか湯の中で浮いたり沈んだりして困っている。

同じように浮いたり沈んだりしながら私も思った。

ここ数年急激に、Netflixでもディズニーでもハリウッド映画でも、いろんな見た目の主人公が増え、いろんな人が普通に存在して活躍する社会を間接的に体験できる機会がはっきり増えた。

それらを見ると「今の子らはこれを普通の世界だと思って育っているのだ」とずいぶん思ったものだ。

彼らはきっと軽々とルッキズムなんか乗り越えていき、我々はよほど気をつけて情報のアップデートをしていないと、あっという間に前時代的差別意識丸出しの野蛮人に成り果てるんであろう、と。

しかし目の前の快活な少女(五年生)の、なんと屈託なく昭和の悪たれと変わらない悪口を炸裂させて、我々を躊躇させてくることか。

そうかそうか、そうだよな。子どもがNetflixとディズニーとマーベル映画からだけ情報を吸収して育ってるわけないんだもんなあ。

 

「あなたは美しいわ。そのままで完璧よ」

と言ったのは『X-MENファースト・ジェネレーション』のジェニファー・ローレンス。見た目が人と違うのを気に病むミュータントが自分を受け入れようとする素敵なシーンだ。

それに、そもそも少女(五年生)よ。君は思ってみたこともないであろうが、30代って結構若いんだぞ。

 

もともとのぼせてるのをちょっと我慢していたらしいお友達(おばあちゃん)はやがて静かに捌けていき、少女(五年生)は、手持ち無沙汰に浴槽のフチに座って次なるお友達が入ってくるのを待つ様子である。

私も、ここらでちょっと水風呂でも浴びて帰ろうかと内風呂の方へ戻った。

 

時々大人を困らせることも言うけれど快活で聡明な少女はおそらく、銭湯のちょっとしたアイドルで、彼女に会うのが楽しみで来る人も結構いるのだろう。

会いに行ける孫、五年生ちゃんである。