『007/ノータイム・トゥ・ダイ』を見てきました。
思い起こせば2020年早早に公開間近というので前年末からさかんに劇場予告がかかっていたものが、降って湧いたパンデミック騒ぎで公開延期。
でもあの頃は世界中で「そうは言っても局地的な騒動だろうし、数ヶ月で治まるんだろう」という楽観主義がおそらくまだあって、無邪気に公開をまってるうちにどんどん事態が悪化。
なんか娯楽どころじゃないし、いつまでも公開はされないし、こっちも映画館に行く習慣を失っていくし。
そうこうするうちに劇場と同時にオンデマンド配信みたいな形をとる新作映画なんかも出てくる、とあって、なんとなく
「あーあ、公開時期のがして鮮度だけ落ちちゃったのね」
みたいな気持ちも芽生え始めてきたのが昨今でありました。
正直なところ、コロナ前の危機感で作られた映画を、このコロナ後の人類がどれくらい緊迫感を持って見るものだろうか、と、ちょっとばかり舐めた気持ちで見に行ったものです。
結果、ここ一年半くらいの「自分と娯楽の関係の変化」なんかも込みでだいぶ感動した。
ここまでの長い時間、今の観客の心に届けるために練り直し撮り直しをしながら温めて来たのであって、タイミングを見失ってぼんやり爪をかみながら一年半放置してたわけじゃないんだ!
ということに見てるうちにどんどん気づいていくのです。
否、本当に「世界情勢に合わせた撮りなおしと編集し直し」なんてものが行われたのかどうか、私にはわかりようもないですが、どこも直してないのにパンデミック発生前からあのテーマがあったとなればそれこそ奇跡だし、それならそれでどっちみちすごい映画ではある。
「老害」問題をどうするか、というようなテーマが最初の段階だったのかな、と思ってみたいたのです。
自分のやり方に誇りもあるし、うまく行っていたし、今でも通用するし、しかしどうも下から来ている世代のやり方は違うらしいんだけど、こりゃどうしたものか。
ノータイム・トゥ・ダイ。だからって死んでる場合でもないだろうよ。
っていう話として構想されたのかなあ、と思って最初はみてたんですが、
「敵は見えなくて自分のうちにいるのかもしれなくて、だから最も大切な人と触れ合うことができない」
というテーマにじわっと変わっていくのです。
「ここに持ってきたのっ。いつからここに持ってこようと思っていたのっ、なんという狭い道を渡って今一番伝えたいことに着地させたのーっ」
と、思って劇場で涙腺ゆるみました。
誰にとっても全然先の見えない状況の中で、「いつか絶対公開できる」と信じて、ずっとアップデートさせ続けた人たちがちゃんと居たってことかと思うと、とんでもない意志の力ではあるまいか。
おまけにアストンマーティンからまきびしは出るし、
ドレスの似合う素敵美女が見事なハイキックを繰り出すし、
爆発されるし、撃たれるし、水没するし、
ジャケット着るし、タキシード着るし、半裸になるし、
バイクで飛ぶし、船で沈むし、車でぶつかるし、
もう本当にありがとうございます。かっこいいです。
娯楽は人類の希望。
Qが珍奇な前掛けしてお料理してるのがだいぶ気になったんだけど、見たらアマゾンで売ってた(たぶんこれ)。どうしてそうなった?